D i a r y

YAMASANS Diary
 
「日記」というほどでもないけれど、思いついたことがあったら書きます。
 
まぁ、私の独り言を聞いてやってください。
 
 

2003/07/21

  最近の日本って…(-.-;)

このところ連日気が重くなる事件事故ばかり…まぁ、折りにふれ書いてきたように、今に始まったことではなく1980年代の半ば頃から世の中おかしな方向に、本格的に突き進み始めたのだが…

● 福岡一家4人惨殺事件

6/20福岡で、子供まで皆殺しにしてしまうという何ともむごたらしい事件が発生。犯人グループは「一家失踪」に見せかけようとしたのか、「子供も皆殺しにしてやる」というほどの恨みを抱いていたのか…

被害者は親戚など、割合近しい関係の人々とも金銭トラブルを抱えていたともいわれ、さまざまな“裏の商売”にも手を染めていたともいわれ…未だ、犯人は検挙されておらず、犯人像、その犯行動機なども今ひとつハッキリしていない。

たまたま海に沈められた遺体が早く発見されたから事件が発覚したものの(犯人にとっては大きな誤算であっただろう)、もし見つからなかったら「謎の失踪」として、捜査が遅れていたかもしれない。

世田谷一家4人惨殺事件も未だ未解決。失われた命はもう帰っては来ないが、事件の速やかな解決を願わずにはいられない。

ところで広島の一家失踪事件。「神隠しか?」と騒がれ、結局1年3ヶ月ほど経った2002.09.07、自宅からそう遠くないダムに車ごと落ちているのを発見されている。あの事件も“単なる事故”というには不自然な気もするのだが…

● 長崎児童誘拐殺人事件

7/1、長崎では4歳の男の子が駐車場の屋上から生きたまま落とされて殺されるという、痛ましい事件が発生。捕まった犯人は…中学1年の男子であった(-.-;) ついこの前まで“ランドセル”を背負っていた子が幼い男の子を殺してしまったという事実に、衝撃と恐怖を感じた。

図らずも“衝撃と恐怖”という、イラク戦争のアメリカ軍作戦名と同じ表現になってしまった。蛇足ながら、日本では“衝撃と恐怖”作戦という表現で報道されたが、これは英文では“Shock and Awe”で、“衝撃と畏怖”とするのが正しい。こう訳したのは一部の新聞解説委員などほんの数名しかいなかったらしい。

なぜ彼は、あのような事件を起こすまでになってしまったのだろう。報道によれば、今回が“初犯”ではなく、何件か同じような事件を起こしていたようだ。もちろん“殺人”にまでエスカレートしたのは今回が初めてで、また補導されたのも初めてのようだが…

少年は成績も良く普通の子、問題のない子という報道がある一方、「学校で注意されるとパニックを起こし、教室から逃げ出していた」とか「中学生には見えないほどの体格なのに、表を歩くにも母親とベッタリ手をつないでいた」とも言われる。その辺りの話を聞くと、「やはり普通とは言えないな」と思う。

特に子供が加害者となった事件の場合「誰が悪いのか?」ということが語られる。「親、学校、地域、社会、政治…」などなど。しかしやはり親の責任でしょ!?自分の子供だもの、自分が責任を持って愛情を持って接していれば、多少道を踏み外すことがあっても“致命的”な過ちは犯さないんじゃないのかなぁ…これって今の世の中“幻想”なのか?

でも「この国に生まれて/この時代に生きて」それでもまともな奴の方が多いんでしょ、そうでなきゃもうとっくにニッポンは崩壊しているはず。未だ(辛くも?)国家としての体裁を保っているということは、まともな奴の方が多いってことでしょ?

被害者の家族は、被害者の友達は、加害者のクラスメートは、今後どのように立ち直っていくのだろう? 立ち直っていけるのか?

犯人の少年は、接見した弁護士の「きみが駿くんの立場だったらどうかな?」の言葉に、顔をこわばらせ何も言えなかったという。何故何度も犯行を繰り返す前に「相手の立場」に立てなかったのだろう。

加害者は12歳。逮捕も裁判も刑事罰もなし。「子供だから更正を一番に…」まともな論理のようであり、じゃぁ“失われた人命”とのバランスはどうなるのか? 特に最近、加害者ばかりが保護され、被害者側は納得いかないという状況が多すぎはしないか?

でもね、鴻池防災担当大臣、あなたが言うような「親は市中引き回しで打ち首にすればいい」とか「子供が罪にならなければ、親が顔を見せて社会におわびをすることぐらいはしないと。出てこなかったら、引きずり出す」というのは、“リンチ(私刑)”っていうんですよ。猟奇的事件が起きると「あんなビデオを見ているから、頭がおかしくなるんだ!」と言うけれど、「鴻池サン、あなたも“時代劇”の見過ぎのようだし、“現実”と“虚構”の境目が判らなくなっておられるようだ」そんな方が政治家として居座っているのはいかがなものか???

しかし一番恐ろしいと思ったのは、そんな鴻池大臣に「良く言ってくれた、そうだそうだ!」という電話、FAX、メールが届いたらしいこと。それって…(で、つぎに続くんだけど↓)

● 沖縄中学2年生殺害事件

7/5沖縄北谷町の墓地で、暴行され殺され遺棄された中学2年生男子の遺体が発見された。犯人は遊び仲間の中学生や卒業生数名。友達(?)を死ぬまで殴り続けるという、人を殴った記憶がない私などにはまったく信じられない事件。知らない奴でも殴らないのに、友達を死ぬまで殴るか?普通じゃないな、こいつらも…

「友人宅から財布を盗んだから」ということらしいが、(殺された)本人は否認していたというし、だいたい殺されるようなことではないし、やった連中は何様のつもりだろう。まるで“市中引き回し”の鴻池防災相のようだ。こういうのを“リンチ(私刑)”っていうんです!日本赤軍が仲間を殺して遺棄したのと同じじゃないか!

この事件を受けて評論家が座談会で語っていたのだが、最近の幼稚園児は、友達が何か悪いことをすると集団で“やっつけてしまう”のだそうだ。「何でそこまでするの?」と聞くと「悪い奴は“殲滅”すればいい」と答えるという。

その評論家によれば、テレビゲームの影響ではないか?という。ゲームの中では、悪キャラを徹底的に潰して先に進んでいく。「このくらいで勘弁しといてやるか」はないし、「自分は正義の味方で、敵はすべて“殲滅”するもの」と。

以前『特命リサーチ200X(NTV系)』で「子供は何故嘘をつくのか」のリサーチ報告をした際、次のような例を挙げていた。

AくんがB子ちゃんのメロンを食べてしまった。B子ちゃんが抗議すると、Aくんは「B子ちゃんがくれるって言ったもーん」と答えるが、B子ちゃんも周りのみんなも「そんなことは言っていない」という。何故Aくんはそんな嘘をついたのだろう? 大人ならば“自己防衛”の下手な嘘(^_^;)といったところだろうが、Aくんには“嘘をついた”という認識がない。彼にとっては「B子ちゃんがメロンをくれた」のだ。

どういうことなのだろう…小さい子供の脳は“自分が空想したこと”と“現実”を分けて認識することが難しいらしい。そこで「B子ちゃんのメロン欲しいなぁ。くれないかなぁ」と“思った”ことが、実際に「メロンあげる」という記憶になってしまったということらしい。

このような子供の脳の性質を理解し、脳の発育・精神の発達を考慮し、小学校に上がるくらいまでは“現実の世界”で、“五感を使った体験(遊び)”をさせることが望ましい。どうしても“バーチャル”なお遊びをしたければその後でということだ。しかし…まわりが皆テレビゲームで遊んでいる現代、自分の子供だけが“話に付いて行けず”、“仲間はずれ”にあうというリスクもあるんだよなぁ…

で、話を沖縄の事件に戻すが、彼らは“小休止”をはさんで、結局被害者の少年が死亡するまで殴り続けたのだという。小休止の時点で止めておけば、少なくとも殺すことはなかったのではないか。加害者の少年は毎度のことながら「殺すつもりはなかった」。でも「手で殴ったら痛かった」ので、棒などで殴り続けている。どうして「自分が痛いということは、相手も痛いのだ」というところに、考えが及ばないのだろう?

自分が子供の頃には「自分がされて嫌なことは、他人にもしてはいけません」とか「○○ちゃんもやってるよー」とか「○○ちゃんがいいって言ったもーん」などと言おうものなら、「○○ちゃんが人殺せっていったら殺すのっ?(←こんな表現はなかったかぁ?(^^ゞ)」って怒られたものだけど…もうまともな親はいないのかなぁ…

 

先日、地下鉄・東西線でのこと。比較的空いた車内に小さい女の子2人を連れた若い夫婦(つまり一家4人ね)が乗ってきた。母親と娘2人は並んで座り、父親だけは離れてシルバーシートに腰掛けた。車内は“空いて”おり、シルバーシートにもその父親だけ。つまりシルバーシートに座ることにはまったく問題がない状況だったのだ。が、娘二人が「お父さん、そこ座っちゃいけないんだよ。うしろの窓のシール見て!」とうるさく言うものだから、お父さんは“降参”して、シルバーシートではない席に移った。「両親が普段からきちんと躾ているのだなぁ」と“ほのぼの”した瞬間であった(^_^)

が、しかし…同じ車内でのこと。「どう見ても“戦中派”だよなぁ」という年格好のじいさんが、昼間から“缶酎ハイ”を飲んでいる。「おいおい、この車内は飲食禁止、常識だろう」と思いつつ見ていると、どうも終点までの時間を計っている様子。「このシジイ、絶対飲みきって缶捨ててくぜぇ」と思って見ていたら…ビンゴ(-.-;) じいさんが立ち上がったあと、シートの上には空き缶が。残念ながら約束に遅れそうだったので、じいさんに「ハイ、忘れ物ですよ」と空き缶を渡してあげる時間がなかった。お年寄りには親切にしたかったのだが…待ち合わせが、友人だったら多少の遅刻はできたんだけどねぇ、残念。

彼にも子や孫はあるだろう。年齢からして、きちっとした厳しい教育(躾)を受けてきた世代のはず。なんでこんなことになっちってるのかなぁ…どうして「あなたのそうした行動が、あなたの子や孫、日本社会をダメにしているんだよ」というところに、考えが及ばないのかなぁ。

小さな子供が“いけないこと”をするのは仕方ない。それは大人が直してあげるべきことだし、まだまだ“修正”の余地は十分に残されている。でも、大人たちや政治家はどうなんだ? 芸能人やスポーツ選手は? もう直らないんだろ? 自分たちの行動が小さな子供や若い世代に与える影響って、少しでも考えたことはあるのかな? 一番責任があるのは親だけど、子供ばかり、親ばかりは責められないだろうな。

 

聖書に「この世の終わりには、対処しにくい危機の時代が来ます」というような表現で書いてあったと思う。ホント「対処しにくい時代」だよなぁ…(-.-;)

 

2003/07/27

  新潟、栃木へドライブ

長いこと“自称”旅客機マニアをやっている私。しかし、お金も無いしマメにあちこち旅行をするわけでもなく、未だにロシアのTu-154(ロシア版B727?)にお目にかかったことがない。そこで思い立ち、愛車IMPREZAを駆り、新潟空港まで行って来ました(^_^)v

事前に新潟空港のHPでめぼしい機体の運行時刻を調べ、7/27 0658自宅をスタート。いつもどおり入間I.C.から高速に乗り、今日は休憩なしでひたすら走り続けた。その結果NAVIは「4h30mかかる」と言ったが、1033に新潟空港着。走行距離316.2km、所要時間3h35m、Ave.は88.2km/hでした。

珍しく飛ばして「3時間半で着いたじゃーん」などとひとり悦に入っている間もなく、目の前ではCOのB737-800がタクシーを開始。「1100発のはずじゃ…」と思いつつ急いで送迎デッキに駆け上がり、なんとか収めることができた。恐らく新潟空港HPの時刻表は古かったのだろう。COのHPで確認するべきだったなぁ(^^ゞ

梅雨明けの空の下、気持ちよさそうな Tu-154Mその後JAS MD-90を3機、中國北方航空 MD-90などを順調に撮影しつつ、ウラジオストク航空 Tu-154の到着を待った。梅雨明けの気持ちの良い空の下、ほぼ定刻どおり、“お目当ての機体”は新潟空港に降り立った。まるで私がわざわざ撮影に来ることを知っていたかのように、Tu-154はピカピカ!塗装し直したのか、洗機直後だったのか?

Tu-154の周りでの地上作業もじっくり眺め、1540無事離陸するのを見送って新潟空港を後にした。

空港近くで給油。燃費は13.8km/h(前回給油以降今日までの110kmを含む)。

今夜のお泊まりは、インターネットで予約した新潟市内のビジネスホテル『万代シルバーホテル』。駐車場こそ近くの立体駐車場で、車上狙いがチョット心配だったけど、インターネット上の書き込みどおり、フロントの方も感じが良く食事も美味しくて、「次もここに泊まろう」と思った。部屋は確かに狭かったが、そこはビジネスホテルだから(^_^)b しかし…夕食でいただいた、エスプレッソ並みに濃い美味しい珈琲にやられたらしく、ほとんど眠れなかった気がする。これにはまいった(^_^;;

 

8/28はホテルを0900スタート。磐越をひた走り、栃木市へ。磐越は本線上で工事をしており、しかも対面通行区間。今回初めて「高速道路上で、片側交互通行」というのを経験した。後は事故もなく、大した渋滞もなかった。

一気に走ってしまおうかとも思ったが、さすがに疲れたので昼食を兼ねて、黒磯P.A.で休憩。栃木市内に着いたのが1320。走行距離302.1km、所要時間4h20m、Ave.は69.7km/h。

栃木市に寄ったのは“古い町並み”を見たかったから。しかし、どんよりとした曇り空。あまりいい蔵にも出会えず、出来の良い写真はなかった…かな(^_^;) いずれ YAMASANS Gallery にアップするかもしれません。

良い写真が撮れなかったことよりも…メインストリートの商店が廃業してシャッターが閉まっていたり、主を失い朽ち果てた日本家屋があったり、そこここに空き家があったり…「栃木市でさえ過疎化が進んでいるのだろうか?」と、チョット心配になった。

2日目の宿はやはりインターネットで見つけた、佐野市『赤見温泉 公園荘』。“離れ”ということであったが、ほんとに新しくてきれいな離れで「次は彼女と来なくちゃ!」って感じです(まず見つけなくちゃ(^_^;))。離れの宿、自分の家にいるようで本当に落ち着けました。お風呂は、部屋にも広くてきれいなユニットバスがあったけど、大(?)浴場を利用。

食事も食べきれないほど。いろいろとバラエティに富んでおり、あまり旅行をしない私には、目の前で(固形燃料で)炊きあげる“炊き込みご飯”が珍しくて美味しかった。

お忍びで(訳ありで?)来る客も多いのかなぁ。(派手な化粧の)女将がイマイチ話に乗ってこないのがアットホームでなくて、新潟のフロントのお兄ちゃんとのギャップが大きかったけど、朝食も美味しかったし、宿の周りは何もなく静かで自然がいっぱい。また泊まりに来てもいいな。しかし照明の上とか、エアコンなどの清掃がされてなかったのが残念。バス、トイレ、洗面などはきれいだったけどね。

 

3日目はタダひたすら帰るだけ。0907スタート。佐野からだから距離は近いが、途中からかなりの雨になり、おまけに渋滞もして…途中、昼食を仕入れ給油もして、帰宅したのは1340だった。走行距離100.4km、所要時間4h33m、Ave.は22.1km/h(買い物、給油停車など含む)。

今回の2泊3日ドライブ、総走行距離は754.2km。IMPREZAもおつかれさまでしたっ(^_^;)v

 

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