D i a r y

YAMASANS Diary
 
「日記」というほどでもないけれど、思いついたことがあったら書きます。
 
まぁ、私の独り言を聞いてやってください。
 
 

2004/10/24

  海野宿、松代城址ドライブ / 新潟県中越地震

久々の晴天に恵まれた10/23。今週は土日休みなので、IMPREZAに乗り、長野県・海野宿&松代城址へと出掛けてきた。「紅葉狩りでも…」と地図を眺めていて、上田市の近くに「海野宿」の表示を見つけてインターネットで検索。なかなか良い感じの風景だったので、ここ(海野宿)へ行ってみることにした。

0800頃、圏央道・入間ICから乗って関越を走り、藤岡JCTから上信越道、東部湯の丸ICで降り、長野県東御市(以前は小県郡東部町)「海野宿」には1025頃着いた。関越はいつもどおり、高坂〜鶴ヶ島で渋滞したものの、まずまず流れた。中央道はひどく渋滞するので、最近は関越を使って遊びに行くことの方が多くなっている。

東部湯の丸出口はSAと一緒になっており、少々複雑な造りであった。本線から下りると、いま走ってきた方向を向くまでぐるりとカーブし、料金所へ。そこからは急な下り坂を抜けて、国道18号(北国街道)へ出て、少し走ったところで千曲川の方へ下ると“日本の道100選”にも選ばれている「海野宿」がある。宿の入り口「白鳥神社」手前に駐車場(50台、小型車\300)が設けられていて、ゆっくり散策を楽しむことができた。

海 野 宿  2004/10/23 10:53いままで何ヶ所も“古い町並み”を訪ねているが、ここ「海野宿」は建物が大変きれいに(破損、汚損などない状態で)保存されているという印象を受けた。ひょっとすると昭和に入ってから再建・修復された建物も多いのでは?昔のままの建物に混じって、目立たぬように通りから少し下げて近年建てられた家屋も多く見られた。宿場内のメインストリート はアスファルト舗装はされておらず、しかし車の通行にも不都合がないような、しっかりとした路面であった。

面白かった(意外だった)のは、町の中に比較的多くある空き地?のひとつに、“廃車”が6台ほど放置されていたこと。車を買い替える度に、そこに放置していったという感じ。しかし、最近の車は見られなかった。門の中であるので、どなたかの所有地(当然か)であると思われる。車種が判るものを2枚撮ってきたので、BBSを見て下さい。廃車ばかりを並べたHPを作っている方がいるけれど、私もちょっと影響うけてしまったかも(^^ゞ

ゆっくり散策を楽しみ、昼食も済ませ(山菜そば、イマイチだったかなぁ…)、「海野宿」を後にした。

自宅出発時点で予定していたのは「海野宿」だけ。しかし、まだ時間が早かったので、長野市・松代城址へ行ってみることに。ひとまず NAVI まかせで、県道35号「長野真田線」で長野市へ抜けることにした。走り始めてすぐに“手書き”で「台風による土砂崩れのため通行止」の看板が。それでももう少しそのまま走ってみると、やはり「(この先)通行止」の看板が(^^ゞ のどかな良い道だったので、ついつい無駄なドライブをしてから引き返し、国道144号で菅平へ。そこから県道34号「長野菅平線」へ。「35号がダメだったのだから、34号はもっとダメだろう」と思いつつ走っていると、程なく「通行止」の電光掲示板に行き当たった。ここで再び引き返し、国道406号、国道403号を通って、長野市へ。

紅葉のドウダンツツジと松(松代城址) 2004/10/23 15:55ようやく松代城址に辿り着いたのは1430。この頃にはだいぶ雲が広がりはじめ、肌寒くなってきた。石垣と復元された門が残る松代城址を通り抜け、“城下町”の散策を楽しんだ。とても良い雰囲気の壁や蔵、古い家屋が残る静かな町であった。またとても神社・寺が多い町でもあった。

今年05/03、富山空港〜能登〜白馬ドライブの帰りに立ち寄った小布施は長野市のお隣。そのためか小布施で食べ損ねた「栗ご飯」を売っていた(小布施の業者であった)。迷うことなく購入。炊きたてのホカホカをその場で詰めてくれた。チョット早い夕飯のつもりで栗ご飯をおいしくいただき、1647松代城址を後にした。

「海野宿」、「松代町」で撮影した写真は『YAMASANS Gallery』の“甲信越Gallery”にアップしますので、見て下さいm(_ _)m

 

5月には小布施から草津白根山を越えて帰ったわけだが、既に暗くなり始めた上、台風23号がもたらした大雨の後ということもあり、再び来た道(403号、406号、144号)を上田市へ引き返し、「浅間山麓広域農道〜浅間サンライン」で浅間山麓を通って…と、この辺りまでは「浅間山噴かなければいいなぁ」ということを心配していたのだが…

1830を過ぎで「そろそろ今日の世の中の動きでもチェックするか」とOFF COURSEのCDを止め、AMラジオに切り換えたところ、アナの雰囲気が違う。ニュースなどやっている時間ではない!?私はようやくこの時点で、新潟中越地方を震源とする震度6強の大地震が発生していることを知ることとなる。「震度6強が2回?…3回!シャレにならねぇ(-.-;)」。この時間、まだ軽井沢を走っていた。地震の規模から考えて、自分がいる位置が震源から十分に遠いとは言えず、早く長野・群馬から遠ざかりたいと思った。帰宅後わかったことだが、1回目の地震で埼玉県北部でも震度5強を観測した地点があり、群馬県高崎市でも家屋に被害が出ていた。そして、立て続けに震度6強に襲われた十日町市は、友人夫婦の実家がある。「彼らの両親・親類は無事だろうか?」ということも大変気になり、運転していても落ち着かなかった。

軽井沢からは、県道43号「下仁田軽井沢線」で国道254号「信州街道」に抜けた。富岡市内、上信電鉄の踏切で電車が通過するのを待っていたとき、1936発生の(最大震度)震度5弱の揺れを感じた(富岡あたりは震度4)。さすがに気持ち悪かった(-.-;) 神流川を渡り埼玉県に入ったときには、正直ホッとしたなぁ(^_^;) 後は八高線にほぼ沿うようなコースで、小川町、越生町、飯能市などを通り、2242無事帰宅。早く帰宅したいと気持ちが焦っていたことと(飛ばしはしないのだが)、たまたま「道の駅」など適当な休憩ポイントを通らなかったこと、走りが快調だったこと(^_^)vから、結局、長野市から休憩無しで走ってしまった。すべて一般道を使ったのに…うーむ、身体に悪いぞ(^_^;;

地震の発生を知ってからはCDやMDを聴くのを止め、ずっと「NHKラジオ第一」を聞きながら走った。高速道路がすべて通行止めになったことは、ラジオで聞いて当然わかっていた。それでも、上信越道・碓氷軽井沢I.C.付近や下仁田I.C.付近を通過するときに目にした「地震通行止」の電光掲示…私にとっては初めて目にする「地震通行止」、そして“赤い灯火の点滅”…何となく不安で気持ちの悪いものだった。長野を出る時点で、いつものように高速は使わずに一般道のドライブを楽しむつもりだったので、高速の通行止は私にとっては何の問題もなかったのだが、高速以外のルートを考えずにあの時間走っていた人は困ったんじゃないかなぁ。

本日の走行距離484.5km、燃費は16.64km/L(満タン法による)。復路はまったく渋滞がなく、信号の少ない道を通ったことで、能登ドライブ(16.72km/L)に次ぐ良い燃費を叩き出すこととなった。 ちなみに私のIMPREZA WAGON(1500cc/AWD/5MT)のカタログ燃費は16.0km/L(10.15モード)(10モード=14.5km/L相当)である(^_^)v

 

帰宅後、慌ててPCを立ち上げ、十日町市出身の友人夫婦にメールを打とうと、まずメールチェックをすると…「心配しているといけないので、念のため」と、既に「ふたりの実家は怪我もなく無事」であることを知らせるメールが届いていた。 一応、家屋も倒壊は免れたらしい。いゃ〜良かったぁ(^_^) すぐに返信をして、長野方面へドライブに行っていたことを伝えた(^^ゞ

10/23夜はロングドライブの疲れがあるにもかかわらず、やはりテレビのニュースを遅くまで見ていた。そして陸上自衛隊立川駐屯地では2530頃にもCH-47J大型輸送ヘリのローター音が聞かれた。阪神大震災の時や、JL123御巣鷹山の時も、普段飛ばないような時間にローター音が聞こえたっけ…

 

一夜明け、凄まじい地震の破壊力が映像で入ってきた。200系新幹線“とき”の脱線があの程度で済んだのは日本の新幹線というシステムの優秀さもあるだろうが、たまたま幸運だったということみたいだ。自動停止システムも、震源と走行車両との距離がなければ有効に働かない。昨日(10/23)ラジオで「新幹線脱線」の一報をを聞いたときには、「脱線車両の高架からの落下」や「対向車両との激突」なども想像したが、そのような最悪の事態にならず、乗客も落ち着いて行動し全員無事であったと聞きホッとした。

アメリカで同じ規模の災害があれば、真っ先に大統領が現地入りするだろう。今年は10個もの台風が上陸し全国で甚大な被害が出ているが、先の23号台風の被害を受けてようやく対策本部が立ち上がったようだ。小泉は相変わらず前面に出てこない。新潟県中越地震では、政府はきちっとした対応ができる(する)のだろうか? 滑り出しは「宇和島の若者たちがハワイの海で米海軍に殺された時に、のんきにゴルフを続けていた森首相」と大差ない気がしてる。今回の内閣人事を見ても「問題ありすぎ!何考えて人選したの??」って印象なんだから、ここらで本気で取り組んでみたら?小泉さん。人気取りでも何でもいいからさっ、とりあえず被災者が困らないようにしてよ!そのために我々は税金払ってるんでしょ!!!

 

2004/10/31

  香田さん殺害される/ビンラディン テロ関与声明

イラクで武装グループ『イラク聖戦アルカイダ組織』に拉致・監禁されていた香田証生さんが、バグダッドで首を切断された遺体で発見された。以前誘拐された3人および2人の時とは、犯行グループの性質がまったく違うことは明らかだったので、厳しい結果を予想していた。結局、残念ながら彼は生きて解放されることはなかった。

事件を聞いたときには、

●周囲が止めるのも聞かず、「何とかなりますよ」と(安易に)イラクに入国している。

●長髪、Tシャツに短パン、バックパックと、一目で外国人とわかる身なりで入国している。

●外務省から渡航自粛勧告が出ているにもかかわらず、入国している。

●これだけ「イスラム諸国」と「イスラエル」の摩擦が高まっているときに、イスラエル〜ヨルダン〜イラクというルートで、入国している(彼のパスポートには、イスラエル入国・出国のスタンプが押されているはず)。そんなもの見られたら、イスラムの人々に反感買うのは必至でしょ!

などの理由から、私は「今回に関しては同情できないな(-.-;)」というのが率直な感想だった。 しかし、10月30日付朝日新聞(夕刊)を読んで、「少し違った角度から物を見ることも大事だ」と思った(読売にはまったく逆の論調の記事が並んでいるはずだ…念のため)。

我々、平和な日本に暮らし、毎日いくらでも情報を取れる(ニュースに触れる機会のある―その内容が正確か真実か偏っていないかは、また別の話)者から見れば、「この危ない時期に何という大バカ野郎だ」と言える。

香田さんはニュージーランドに向かって以来、数カ月に渡って旅行をしていたという。この間は、日本語による報道に触れる機会がほとんど無かったのではないか。治安が悪化し、人質事件が増えていたイラクの状況について情報不足だった可能性がある。拘束されたらどんな目に遭うかという認識もなく行ってしまったのかもしれない。

―― アジアプレス 野中章弘代表

献身的な市民運動家ではないかもしれないが、イラクで何が起きているのか自分の目で確認したいという普通の青年の行動を誰が非難できるのか。私自身、北爆さなかの北ベトナムに入ったとき、最初は目的などなかった。ただ現地を見てやろうという好奇心がそうさせた。人々は、平和を国是とする日本人という目で見てくれ、助けてくれた。今はアメリカの手下だと思われている。そうしたのは日本政府なのに、「身勝手」「無責任」などと責める風潮はおかしい。

―― 作家 小田実さん

このお二人のコメントを読んで、なるほどと思った。だからといって、彼の行動が正しかったと言うつもりはないが、人間の好奇心とは大事なものだし、何でもそうだろうが「実際に見なければわからないこと」「実際に見たから言えること、伝えられること」はあると思う。そうしたものの中から生まれることもあるだろう。ジャーナリスト任せにしていれば何でもわかるというものでもない。

ベトナム戦争の頃には、あの悲惨な状況下の、情報インフラもないであろう、貧しく教育水準も決して高くないであろうベトナム人の間でも、『憲法9条』は有名だったと見える。しかし、今はどうだ。アメリカのケツを舐めること(←都立大 宮台真司助教授の言葉を借りれば(^_^;))だけに熱心な小泉首相が決めたイラク派兵で、『憲法9条』はどこへやら。「自衛隊のイラク派遣は、国益にかなう」というが、私にはどこがどう国益にかなっているのか理解できない。本当に国益にかなっているというなら、小泉首相は国民に対し堂々と胸をはって「アメリカに協力すること、イラクに自衛隊を派遣することは、このように日本の国益につながります」と説明したらいいし、またそうすべきだ。日本は中東に人も派遣し、様々な開発援助を行ってきた。またキリスト教国ではないこともあり、欧米諸国と違って中東の人々から親しみを持たれていたというのに、自衛隊を派遣したことにより「米英の占領政策に手を貸しているだけ」としか見ていない人も増えているのではないか。これでは行かされている自衛隊員だって気の毒だ。とっとと引き上げて、国内の台風や地震の被災地に派遣してもらった方が、彼らだってやりがいを感じるだろう。その方がよっぽど喜ばれるし、自衛隊の有益な使い方だ。

アメリカ政府にそっぽ向かれるのが、それほど国益を損ねることなのか。ヨーロッパやロシア、中国などと仲良くすればいいじゃないか(アメリカと手を切れと言っているのではない)。小泉首相はよく「アメリカは友人だから」という言い方をするようだが、真の友人ならば「間違っていることは間違っている」と「君たちは世界からこう見られている。方針転換をするべきだ」と何故言ってやれないのか?いつまでもアメリカの後に付いていくつもりなのだろうか?いいかげん独自の外交というものを考えないか?

このまま行くと東京やソウルでも、ニューヨークやマドリードのようになるのではないか?「だから撤退する」というわけには今さら行かないのだろう。それに政治家は自分の過ちを認めたがらない…そして犠牲になるのは、いつも一般市民だ。だが、米英がイラクへの介入を止めたら、それこそ“民主的な新生イラク”を快く思わないアルカイダなどの思うつぼかもしれない。しかし、米軍の攻撃によりイラク市民が殺され続けていては、民主化もあったもんじゃない。

 

どんな田舎町にも郵便局はある。国営でなければできないこともあるのだ。ドイツでは郵政民営化の果てに、田舎の郵便局が次々姿を消した。「隣村の郵便局も、もうすぐ閉鎖される。我々はどうすればいいのだ?」と老人が困惑していた。日本もドイツと同じ間違いをするのか?郵政民営化などと「誰も望んでいないこと」を進める暇があったら、やるべきこと、間違ったことの方向転換をやれ!

それにしても、税金払ってないくせに「クロネコと同じ土俵で闘おうとするゆうパック」、ほんと汚いわなぁ。頑張れクロネコ!国のイジメになんか負けるな!!

 

ビンラディンが『9.11同時多発テロ』への関与を認める声明を発表。その中で「アメリカが我々の安全を損なう限り、アメリカへの攻撃はなくならない」旨の発言をした。間もなく米大統領選挙の投票日。これでブッシュは不利になった?と思いきや「対テロ政策ではブッシュがしっかりしている」とブッシュの支持率が上がったのだと…おやおや(-.-;) ケリーになったとしても、アメリカがマシになるわけではないけどねぇ。

ビンラディンの声明は論理的で明快で、理にかなった内容だと思った。「私の演説は第2のマンハッタンを避けるための最善の策に関するものだ。我々が戦うのは、不正義を許せないからだ。あなたたちが我々の安全を台無しにするなら、我々はあなたたちの安全を破壊する。2001年9月11日から4年目になるが、ブッシュは(攻撃について)今もあなたたちをだまし、本当の理由を語っていない。それゆえ同じこと(攻撃)が起きる理由はまだ残っている。」と始まり、「あなたたちの安全は、ブッシュでもケリーでもアルカイダでもなく、あなたたち自身の手にある。」と締めくくっている。ビンラディンの言うとおりであり、アメリカにはイスラム諸国を“土足で踏みにじる権利”などないはずなのだ。

もちろんビンラディンは人殺しだ。不満があるならば話し合いで解決するのが人間のやり方のはず。しかし、大砲で仕掛けてきたのはアメリカの方なのだろう。強大な軍隊に立ち向かうには、「テロ・ゲリラしかない」と彼らは『9.11』のようなやり方を選んだ。

アメリカは「正義の戦いだ」、小泉はつい先日も「テロには屈しない」と“オウム返しに”繰り返した。「無垢の日本人を惨殺する行為は、断じて許せない」と町村外相は声明を発表。それはそうだが、では「正義の名の下に」殺された“無垢のイラク人”10万人はどうなる? 米ジョンズ・ホプキンス大学のレス・ロバーツ氏率いるチームの調べで「イラク戦争によるイラク民間人の死者は、少なく見積もっても10万人は下らない」とのこと。

もう、いいかげん終わりにしましょう。そうしないと人類は取り返しのつかないことになる…

 

米オークランド在住の映画評論家・町山智宏さんが、「ブッシュが勝つかもしれない理由(2004-10-27/10-28/10-29」という大変興味深いコラムを書いているので紹介しておきます。

「米大統領を決めるのは、アメリカの田舎に住んでいる“自分の名前の読み書き”程度しかできない“無知で貧しい白人”である」、「20世紀始めに移民したアイルランド人、ロシア東欧系、イタリア系が多く、大統領選の行方を左右する」、「国民の4割が福音派キリスト教徒のブッシュ支持者であり、この支持基盤は強固で揺ぎ無い。この人たちはとにかくゲイ同士の結婚に反対し、中絶を非合法化することに賛成である限り、ブッシュに無条件に投票する」ということなどが書いてある。なかなか日本のメディアには載ってこない話である。

世界情勢の行方はアメリカ大統領が左右する。そのアメリカ大統領を決めるのは「世界情勢など理解できないアメリカの田舎の“無知で貧しい白人”や、最近よその国からやって来た人々や、無条件にブッシュに投票するキリスト教徒たちだ」と言うのである。そして、その大統領によってイラクに送られて戦死する若者たちも、アメリカの田舎の出身で「仕事がなく貧しく、大学へ行くには軍隊に入るしかない」人々なのである。これがアメリカの言う民主主義であり、自由主義国家である。何とも皮肉な話だ…

 

今日のタイトルからは外れるが、先日行われた天皇、皇后両陛下主催の「秋の園遊会」。そのニュース映像をご覧になっただろうか?そこに出席していた、日本将棋連盟専務理事・米長邦雄永世棋聖(東京都教育委員会委員)が「私の仕事は、“国旗を掲揚させ国歌を斉唱させること”です」と言ったのに対し、陛下は「強制になるということでないことが望ましい」と返した。天皇陛下が「日の丸・君が代」問題について発言したことに驚くと同時に、「陛下、ナイス!」と私は喜んだ(^-^)

10月29日付朝日新聞(夕刊)、『素粒子』には「「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させるのが仕事」と米長都教育委員。棋士変じて指揮者にでもなったつもりか。」

10月31日付朝日新聞、『朝日川柳』には「園遊会無用な一手に天の声(相模原市の男性)」

 

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