D i a r y

YAMASANS Diary
 
「日記」というほどでもないけれど、思いついたことがあったら書きます。
 
まぁ、私の独り言を聞いてやってください。
 
 

2004/11/13

  城峯公園、佐久市 ドライブ

休みとなると IMPREZA と出掛けたくなる。というわけで、今週末もふらりドライブ。「もう終わりかなぁ…」と思いつつ、埼玉県神泉村の城峯公園へ“十月桜”を見に出掛けた。

0740自宅発。圏央道・青梅ICを横目に見ながら飯能に抜け、R299で秩父。県道44、13を通り1025城峯公園着。初めて湖側の道から公園へ登った。時季的なものなのか、公園の整備が進んだからか、今年は自家用車、観光バスとも多く、公園内駐車場ではなく、道路に区切られた駐車スペースに停めることとなった。

紅葉(城峯公園にて)今日は冬晴れで、素晴らしい青空。写真を撮るには最高だったが、イマイチ気分も乗らず…“十月桜”はやはり少し過ぎていて、乾燥してシワシワの花も目立ち、結局1枚も撮らなかった。見事な紅葉も見られたが、撮ろうと思ってよく見ると先端の方の葉はすでに枯れ始めており、こちらも写真にするにはチョットという感じであった。せっかく行ったのに残念だったが、園内を散策して良い運動にはなったかも。一応紅葉の写真を…でかいストロボがあると良い写真になったかもね(デジカメDMC-FZ1で撮影)。

ここまで来れば、長野県佐久市はすぐそこ。そこで昼食は佐久市のそば屋『藤蔵屋』で食べることにした。群馬県吉井町まで北上、R254を西へ(今日はR299十石峠はパス(^_^;))。富岡市内では、3週間前のドライブで中越地震の余震に遭った上信電鉄の踏切も通り、あの晩のことが思い出された。信州街道(R254)はのどかでドライブは楽しかった。内山峠はそれなりにきつかったけど。

長野県佐久市内の道を北上している時、目の先には浅間山がきれいに見えた。そしてその山頂付近からは、スモッグのような、ごく薄い噴煙が東の方へ真横に棚引いていた。(この日の夜、浅間山は中規模の噴火をした。近くには噴石も飛ばす規模であった。ドライブ中でなくて良かった。)

佐久市の『藤蔵屋』に着いたのは1340で、「あ〜腹減った(^_^;)」という感じで早速“ざるそば(中)”を注文。"大"、"中"、"小"とあるのだが、普通の店の感覚でうっかり大盛りを注文するとビックリするらしい。"中"でも普通の大盛りくらいある。今夏「佐久で鯉のあらいが食べたい」とインターネットで探して見つけたこの店。08/14に来た時は「鯉のあらい定食」を食べた。あの時はもう少し時間が早かったせいか、店内は戦場のような忙しさであったが、今日はゆったりと食事を愉しむことができた。自家製の“八二そば”量は多いが飽きない味。麺がきちんと切れていなかったりもするが、そこがまた味があって(^_^;)

昔から有名な店なのか(例えば雑誌に取り上げられるとか)、インターネットの威力なのか、今日も他県ナンバーが目に付いた。

JR鉄道最高地点今日も日帰りドライブ、今日も高速使わないというわけで、そばを食べた後は帰還モードに!R141(佐久甲州街道)を南下。昔GEMINIで越えた“ぶどう峠”を通って、御巣鷹の麓、上野村に抜けるコースもまた走ってみたいが、今日は楽な道へ(^^ゞ

途中「果物でも…」と立ち寄った野菜直売所の裏手に回ってみたら、そこはなんと「JR鉄道最高地点(1,375m)」だった。「あれっ?こんなところだったんだ」ここは学生の時夏休みを利用し、仲間5〜6人で訪れた場所。あの時は「“国鉄”最高点」だったか…既にJRになっていたんだっけ?

さらにR141を南下。須玉、韮崎を走り、双葉から県道へ。甲府〜石和はひどく渋滞したぁ〜。あとは塩山からR411(青梅街道)で柳沢峠を越えて、奥多摩に抜けるお得意のコース。今夜のR411は、民家がなくなった辺りで現行のMINI COOPERが凄い勢いで追い抜いて行ったが、あとは東京へ向かう車には会うことはなく“ひとり旅”であった。夜の青梅街道は真っ暗であるが、マイペースの誰にも邪魔されないナイトドライブを愉しんだ。

何回かの休憩、夕食をはさみながら、帰り着いたのは2130であった。今日の走行距離は376.4km。給油はしなかったので正確な燃費は出ていないが、『燃費マネージャー』によると15km/L程度であったようだ。積算距離は正しく出るようになってきた(係数【999】がいいようだ)が、今回の積算燃料は少なめに出ている。データが蓄積してくれば、My IMP.に合った燃料係数が求められるだろう…

 

2004/11/21

  飛騨市へ1泊ドライブ

せっかくの連休、家に居てもつまらない。そこで…チョット足を伸ばして、岐阜まで行ってみることにした。無理に日帰りする必要もないので、インターネットで飛騨市に宿を取り、出発!(^_^)/

今回は岐阜県飛騨市へ向かうということで、中央道〜長野道〜安房峠というコース設定。JHのHPによれば、11/21中央道下りは渋滞なしと予想されていた。大抵休日は「八王子本線料金所〜元八王子BS」で朝から大渋滞という印象があるが、JHの予想どおり渋滞はなかった。八王子で乗ったのが0700近かったと思うが「渋滞予想って当たるのね」と変に感心した(^_^;) 80〜90km/h程度(時々110km/h)のゆっくりしたペースで巡航。途中、双葉S.A.などで休憩しながら塩尻I.C.で降り、「信州まつもと空港」に隣接する公園に着いたのが0920。

この霧の向こうには「信州まつもと空港」が…今回のコースを見た時に松本空港に寄れることに気付き、出発の数時間前にJAL HPで時刻表を調べ楽しみに走ってきたのに…塩尻I.C.を降りた途端に辺りは怪しい雰囲気。霧だ…しかも結構濃い。無灯火の車もいたが、私も含め多くの車はフォグランプも点灯していた。

もう間もなく空港というところまで来ても、それらしき敷地は霧の中。空港に隣接する公園の駐車場に車を止め施設の案内板を見ると、自分がいる場所が滑走路のすぐ傍であることが判った。しかし写真のような霧。テレビでニュースなど見ながら軽く2度目の朝食をとり、撮影は諦めて空港を後にした。テレビの映りは良かった。私はリヤガラス内側にロッドアンテナを固定して使っており受信感度的にはつらいのだが、さすがは“日本一高いところにある空港(657.5m)”、テレビもきれいに映った(本当の理由は送信所が近いんでしょ、きっと(^_^;)b)。

空港を離れ10分〜20分も走ると、霧も晴れ陽が差してきた。地形的な要因だろうと思う。空港に戻っても晴れるとは限らないので、そのまま先を急ぐことにした。空港周辺には狭い道も多く、民家や畑が広がるのどかな場所であった。そのうちにまた飛行機を撮りに来なければ!

国道158「野麦街道」を西に向かい、釜トンネル(通行止)入口を左折、安房トンネルを抜けて岐阜県へ。トンネル出口の料金所で先頭がもたついていたが、なるほど、ここは無人料金所だったのね。自分で機械にお金を入れ、自分でお釣りを受け取る。

道の駅「奥飛騨温泉郷上宝」に着いたのが1137、家から約250km。外はだいぶ寒くMA-1を着てちょうどいいくらい。ここで昼食をとり(食堂ではストーブが点いていた)、ゆっくり休憩をして再スタート。この道の駅からだと、今夜の宿は直行すれば32kmほど。もちろん、まだ向かっても意味がない。そこで飛騨と言えば“飛騨高山”かなぁというわけで、県道89「高山上宝線」を通って南下。ナビが大好きな、峠越えの細い道で高山市へ。

飛騨エアパーク(管理棟 HSS-2B 吹き流し)途中、丹生川村で「飛騨エアパーク」脇を通る。出発前にネットサーフィンしていて、この農道空港の存在を知ったが「まぁ、寄るほどの場所ではないか」と予定には入れていなかった。しかーし、通過しながらフト見ると滑走路を挟んで向こう側に、静態保存の「海自ヘリ、海自練習機」が見えるではないか!慌てて引き返し、飛騨エアパークに立ち寄った。

ここに着いたのは1307。天気が悪く(帰る頃にはポツポツ…)「えーっと、いま何時だっけ?もう夕方だったかなぁ」という気分。で、「飛騨エアパーク」はというと空港を囲むフェンスはあるものの、ゲート?に誰か立っているわけでもなく、出入り自由。管理棟に女性がひとり事務を執っていたようではあった。

やはり“かぶりつき”で、航空機を見られるのは嬉しい(^-^)。特に対潜哨戒ヘリ、シコルスキー(三菱)HSS-2Bは5枚のメインロータを後方に折り畳んだ格納状態で、それを専用の固定具でしっかりと留めてあり「艦艇に搭載する時もこのようにしていたのかなぁ」と興味深く見学した。

練習機 富士KM-2にも見学用タラップが据え付けられ、風防の上からコックピットを覗き込んだり、胴体上部や主翼上面を見ることもできた。真っ黄色に塗られた機体は保存状態もよく、こんな機体に触れることもできるというのは他ではなかなかないのではないだろうか。そして左水平尾翼下の後部胴体には、『富士重工業株式会社 宇都宮製作所』の銘板が!スバリストにはたまらないおまけ付きです(えっ、私だけ(^_^;))。

グライダー運搬用コンテナ 尾部にはCOBRAの文字2機の静態保存機。これからも大事にしていって欲しいもの。見に来る人も、触って壊したり部品持って行ったりという常識外れなことはしないでね。KM-2の翼端放電索は既に切れかかっていたし…今回撮影の2機は、いずれ「軍用機ギャラリー」にアップするつもりでいますが、毎度のことでいつになるかはわかりません(^^ゞ

この農道空港はグライダーを飛ばすことも多いようで、そのためか門のすぐ傍、畑の脇には「グライダー運搬用コンテナ」が置いてあった(私、初めて見ました)。中身は入っていたのか、それとも空だったのか??

「飛騨高山」として有名な岐阜県高山市に到着したのは1400。散策を楽しんだと言いたいところだが、さすがは有名観光地。人人人で…特に市街中心部の古い町並みは「ここは原宿?」と思いたくなるような状態で、町並みを見るというよりは人混みに飲まれるといった感じだった。というわけで、古い町並みの気の利いた写真は撮れず、日テレの中継などでもよく映る“赤橋”もイマイチ(^_^;)。それでもドライブ後の軽い運動にはなったし、町はずれの神社は良い雰囲気で紅葉も美しかった。

今夜の宿は、国道41沿い飛騨市神岡町にある「国民宿舎霜出荘」。最近建てたようで、外観室内共にきれいで、風呂も広くはないがきれいで気持ち良かった。ネットでの評判どおり食事も美味しくて、(ご飯茶碗は小さかったけど)4杯もお代わりをしてしまった(^^ゞ 日曜の夜ということもあり、観光での宿泊は私だけ。後は仕事の団体さんであった。「これから、お疲れさんの宴会でも始めるのかなぁ…」と心配したが、翌朝が早いらしく私よりも早く眠りについたようだ。私が泊まった部屋が突き当たりということもあり、静かに休むことができた。布団を敷くのはセルフサービスで、このことでかえってくつろげた。ネットの感想に「宿の方とは付かず離れずのいい距離感で…」とあったが、なるほど納得。

翌朝外を見ると、山には霧がかかり、かなり雨も降ったようで My IMP. もびっしょり濡れて気持ちよさそうだった。窓から見える風景は山と田んぼ、遠くに集落が広がり…と、普段“狭い”風景しか見ることのない都会の人間にはとてもありがたいものだった。

出発の時にはお祖母ちゃんが見送って下さった。このお祖母ちゃんが見ているだけでこちらが癒されるような「日本のお祖母ちゃん」という感じで、「彼女の顔を見るためだけに、また泊まりに来てもいいなぁ」と思った。岐阜北部に来ることがあったら、またぜひ宿泊したい。ここを経由して、小松空港にでも写真撮りに行ってみるか。

帰りはここから南下し、ひとまず飛騨古川へ。古川には2003年5月にも立ち寄っているが、いい街は何度訪れてもいいもの。ここでもしばし散策を楽しんだ。古川からは国道41をそのまま南下し、下呂のENEOSセルフで給油の予定だったが、峠道好きのナビがまたここでも県道98位山峠越えに誘い込んだ(まぁ黙って従う私も私だが(^^ゞ)。途中、久々野防災ダム脇で軽く休憩。ほとんど車に遇うこともない道だったが、スキー場があり過去国体も開かれたそうである。「黙って国道走った方が早かったし、燃費も良かったよなぁ」などと思いながら、下呂市萩原町で再び国道41へ。

予定どおり下呂市東上田町のENEOSセルフSSで給油。昨日家を出てからここまで407.4km、燃費15.32km/L。せっかくのENEOSなのに会員割引無しで、@\120だった(>_<) セルフなのに… う〜む、この辺は高いのかなぁ。『石油情報センター』によれば、11月の岐阜レギュラーは@\119なんだけどね。

My IMP.が満腹になったので自分も昼食。有名な宿場「馬籠宿、妻籠宿」も通り道だが、今回はあえてパスして大平宿を目指した。国道256南木曽町から県道8「大平街道」に入る。この道もナビが好きそうな峠越えの細い道。「本当にこんなところに宿場があるのかいな?まぁ昔の人が通った道だから…」と思いつつ走っていると…あった。確かに宿場はあったのだが、既に部落ごと集団移転して無人となった集落がそこに佇んでいた。夏場は宿として解放されている建物(室内はとてもきれいだった)もあるようで、ひょっとすると賑わいもみせるのかもしれないが、11月末、時刻も1600近くなり谷間の集落は薄ら寒く、ちょっと不気味な感じさえ漂わせていた。無人の集落、さすがのDoCoMoも圏外で、道から少し入ったところにある公衆電話(生きていた!)が唯一の通信手段であった。「せっかく来たのに損した」とは思わなかったが、寂しさが残った。

飯田市街に下りて、国道153「三州街道」を北上。高遠町から国道152を通って茅野に抜け国道20を通りとなるはずが…目の前に重そうな鋼材を積みノロノロと走るトラックが現れ、ちょうどその時ナビが脇道に誘い、その誘いに乗って再び峠越えの細道へ。初めは国道も目の下に見え、地元の車も走っていたので「すぐに山の向こうに出るさ」と軽く考えていた。道はまぁまぁ良かったし…しかし、どんどん走っていくと未舗装路になってしまった。これだけ入り込んだら今さら引き返せない。「インプ、初めてのグラベルかぁ(^_^;)」などとこの時点でもまだ余裕があった(つもり)。すぐにまた舗装路になるだろうと思っていた。

その砂利道の林道は轍がしっかりついており、お腹を擦ることはないだろうと思いつつも轍から少しタイヤを外し気味に走っていった。かなり入り込んだところに人家が数軒固まってあったのには、少々驚いた。車があり明かりも灯り、確かにこんな山奥で生活する人もいるのだと感心した。里帰りなのだろう、品川ナンバーのビッグホーンだったか?も停まっていた。環境はいいかも知れないが、買い物も大変だし病気をしたらと考えると「私にはとても…」と思った。

そしてそして、この直後、この林道で最大の事件は起きた。既に陽も暮れて真っ暗な林道。HIDロービーム、ハロゲンハイビーム、ハロゲンフォグの6灯のみが頼り。そのライトに照らされた空間に、突然「立派な角を持つ牡鹿」が現れたのだっ!砂利道、林、草と何も動くものがない空間に現れた、動物。その“動く鹿”に驚き、全身鳥肌が立ってしまった(>_<;) 林道脇に居たその鹿は、インプを認めるとすぐに沢の方に下りていった。一瞬の出来事であったが、本当に驚いた( ・_・;;

祝!IMP. 20,000kmその後も「2速、2000rpm、15〜20km/h」程度で、ズルズル、ノロノロと慎重に登っていった。いつまでも終わらない未舗装林道を登りながら「AWD/MTを買ってよかった」とつくづく思っていた。そして1915、芝平峠を越えたところで記念すべき20,000kmを迎えた。街の灯りも見えない真っ暗な林道で車を停め、20,000km記念にインパネの写真を撮った。いやー物好きだねぇ(^^ゞ その間も“いろいろな意味”で恐いので、ヘッドライトは点けっぱなしで(^_^;)bのつもりが、TRIP Aに切り替えてこの写真を撮った時には、ヘッドもフォグも消してしまっていた。カメラをしまい、顔を上げて「しまった!」と自分でビックリ。もちろん何も起きなかったけどね(^_^;;

やがて街の灯りも見え始め、しかし未舗装路が続き…もうひとつ恐かったのは、山からの水を流すために道を横切って設けてある溝の蓋が大きくずれていたこと。いくつもあった溝の中でも、たった1本だけだったのだが…。急ブレーキで車を止め、一旦バック。「熊いないよね」と思いながら車から降りて、蓋の隙間の位置と間隔を確認。脱輪(落輪?)することがないように狙いを定めて通過した。街に下りたら、先日10/10に「甲州街道の一里塚」を探しに訪れて結局見つけられなかった、長野県富士見町だった。

ここまで来れば帰り着いたようなもの。程なく白州町から山梨県に入り、韮崎のファミレスで遅い夕食(2100)。後は塩山市から柳沢峠を越えて奥多摩に抜ける、大好きなコース。しかし、今回のドライブはこの「青梅街道」に最後の難関が待っていた。塩山市街を抜け本格的な登りに入ったところで、後方から速いトラックがやってくるのが見えていた。前を走る車もいなくなり、私とそのトラックだけになった時点で『大菩薩の湯』のヘアピンに差し掛かった。登坂ペースからして“空荷”で“ガラも悪そうだ”とは思っていたが、やはりカーブでも離れずに付いてくる。「いくらMy IMP.が非力とはいえ、この先の狭いカーブまでがんばれば何とかなるだろう」と思い飛ばしたが、結局引き離すことはできず…峠を越えて下りで競り合う自信はなかったので、柳沢峠でピットストップ(^_^;) トラック(4tロングか6tくらい)は減速することなく駆け抜けて行った。

数分の停車後、再始動すると室内に焼けたような臭いが漂ってきた。「インプちゃん無理させてゴメンね」って感じ。20NやWRXは知らないが、私のI's sport は、急坂での発進でもそんな臭いがする。下りはゆっくりと無理をせず(^_^) 青梅の長渕あたりでは目がしょぼついてきたが、11/23 0047無事に帰り着いた。

今回のドライブ(11/21〜11/23、1泊3日かぁ?)、総走行距離752.2km。総燃費は15.52km/L。高速を使った前半(15.32km/L)よりも、一般道のみの後半(15.76km/L)の方がやはり燃費は良かった。林道で苦労した割にはね(^_^;)v IMP.にも苦労掛けたので11/23近所のスタンドで、下回りの高圧洗浄と水洗い洗車をしてあげました。さて20,000kmを超えたことだし、イリジウムプラグでもおごってやりますか。

 

2004/11/27

  ガンダム SEED DESTINY 〜 混迷の大地

10月からガンダムの新シリーズ『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』が始まった。今回のシリーズも“お子ちゃま向け”ではないので、ついつい真剣に見てしまっている(^_^;) といいながら、前作『SEED』は録るだけ録って途中から見ていないので、今回あまり話が見えていない(^_^;;

今日は第7話「混迷の大地」が放送された。そのラストシーンで、射撃練習をするミネルバの兵士たちのところに現れたアスラン・ザラに対し、ルナマリア・ホークが「射撃の腕を見せて欲しい」と頼む。そして抜群の腕前を披露したアスランが言う。

アスラン  :「こんなことばかり得意でも、どうしようもないけどな」

ルナマリア:「そんなことありませんよ!敵から自分や仲間を守るためには必要です」

アスラン  :「敵って…誰だよ」

たったこれだけの短いシーンで、「人間の愚かさ」を感じて涙があふれてしまった。アスランが「敵って…誰だよ」と言ったのは「ナチュラルもコーディネータも同じ人類じゃないか。敵でも味方でもない。なのに何故殺しあうんだ。あれほどの思い(前作のSEED)をしたのに、さらにまた殺しあいを始めるというのか!」という気持ちだったのだと思う。

私はルナマリアの「敵から自分や仲間を守るためには必要です」というセリフを聞いた瞬間に、いま正にイラクでアメリカ兵がイラク人を殺し続けているという愚かな現実を想い、哀しくなり涙があふれた。

『ガンダムSEED DESTINY』の戦いは、50話もすれば終わる。そして“お話”の中だけのことで、実際には誰も血を流さないし誰も死ぬことはない。しかし、イラク戦争やこれからも何処かで起きるであろうテロは現実のことで、確実に多くの命が失われ、憎しみと哀しみだけが積み重なっていく。

アメリカもイギリスも撤退する気はない。日本(小泉)もアメリカの方だけを向き、肝心の日本国民の気持ちやアラブ人の気持ちはまったく無視しているように見える。自衛隊の駐留も“延長ありき”で勝手に進めている。

イラクには、世界には、いったいいつになったら平和が訪れる?

 

というわけで、こーんなシーンで涙腺がゆるんでしまう私は、決して劇場で『世界の中心で〜』や『いま 会いに〜』などを観ることはできないのでしたぁ〜(爆) テレビでやったらビデオに録って、部屋でひとりでコッソリ観よ〜っと(^_^;;

 

2004/10  一覧に戻る  2004/12

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