D i a r y

YAMASANS Diary
 
「日記」というほどでもないけれど、思いついたことがあったら書きます。
 
まぁ、私の独り言を聞いてやってください。
 

2001/11/01

  あ゛、モニターが壊れた(*_*)

モニター壊れた…(画像は膳場アナ)今朝TV( NEC MultiSync 17TV (PC-TM171) )をつけると写真のように、画面の左右が“糸巻き型”に縮んでいた。

(上下の黒い帯は“同期”の関係で、故障ではありません。DV使ったもので…)

「あ゛、モニターが壊れた〜」昨夜までは問題なかったのに…

'96.06に購入。'00.01に修理してから1年9ヶ月…もたなかったなぁ、このモニター。その前の NEC C-15M319 は故障無しで10年活躍したのにね。

PCのモニターとしてはまったく問題ないけれど、TV部がこうなってしまったのでは、仕方ない。買い換えるとするか…この不景気に…トホホだよ(>_<)

省エネルギー、省スペースということで、液晶モニターを探してみようと思う。液晶17インチ以上、TVチューナー&ステレオ・スピーカー内蔵って無いんだよねー。

 

話違うけど、NHKの膳場貴子アナ、素敵です(*^_^*)

 

2001/11/03

  鎌倉に小旅行

旅行会社のツアーで、鎌倉に日帰り旅行してきた。

府中本町−新川崎は武蔵野貨物線を利用し、北鎌倉までノン・ストップ(途中の信号停車を除く)。トンネルばかりで、道中、景色を楽しむわけにはいかなかったが、往路1h16m(立川08:02−北鎌倉09:18)、復路1h33m(鎌倉16:32−立川18:05)と、短時間で乗り換え無し。実に快適だった。

また、車両は「外を塗り替え」、「床を貼り替え」、「シートを換装し」てはあったが、きっとかなり古いものだろう。しかし、床はピカピカに磨き上げられ、もちろんゴミはひとつも落ちていない。窓ガラスが水アカで汚かったのは残念だが、シートのクッションは良く、その点も快適だった。

朝からどんよりと曇って、あまり写真を撮るという雰囲気ではなかったが、浄智寺の“ムラサキシキブ”が見事で、うまく撮れていたら、いつかギャラリーにアップしたいと思っている。

いちばん素敵だったのは、“竹寺”として有名な「報国寺」の竹林を見に行けたこと。竹林に足を踏み入れた瞬間、空気が違った。道路からは少し入るので、元々静かな寺ではあるが、竹が周囲の騒音をすべて吸収し、シーンと静まりかえっていた。雨が降らなければもう少し居たかったが(もちろん竹林の中に雨粒は落ちては来なかった)、雨だから人が少なかったとも言えるだろう。

予報どおり正午から雨が降り始め、14:00頃には本降りに。折りたたみ傘を持ってはいたが、結局使わずに済ませてしまった(^^ゞ

団体専用臨時列車(クハ167/モハ166系)雨が降らなければ時間ギリギリまで鎌倉の散策を楽しむところだったが、集合の2時間ほど前から、喫茶店で食事や珈琲を楽しみながら時間を過ごした。まっ、こういう鎌倉も、いいんじゃないの?

雨だというのに(経済も土砂降りなのに)、人人人の鎌倉でした。

 

写真は「団体専用臨時列車(4両編成)」。帰りもこの編成が迎えに来ました。私たちが“鎌倉散策”を楽しんでいる間、この列車はどこで、どう過ごしていたのでしょう?

●最後尾(クハ167-15、立川駅南武線ホームにて)。もちろん復路はこちら側が先頭車両。

●乗車した車両の型式(モハ166-5)。この型式記号からすると、かなり古い車両なのでは?車内には平成元年に大井で改造をしたことを示すプレートが貼ってあり、したがって製造年は不明だが、どうやら昭和40年代前半らしい。

●乗車した車両の所属記号は「東チタ」で、「(東京支社)田町電車区」所属。  (tomii-motoi による。アリガト(^_^)/)

●臨時列車の時刻(鎌倉駅にて)。時刻表示に「団体」と出ているのを初めて見たような気がして、珍しいので撮ってきました。

 

2001/11/13

  アメリカン航空A300墜落

またアメリカで飛行機事故が起きた。今朝TVをつけると、画面に枠が付いて火災の映像が…「また、テロか?」と思った。

JFK離陸直後のアメリカン航空エアバスA300-600Rが住宅地に墜落した。目撃者の証言では、エンジン1基が火災を起こし、大きく傾きながら、墜落したという。また、「人が“バラバラ”落ちてきた」との証言もあるようだ。事故機は墜落前、「燃料投棄(fuel dump)」を行っていたとも言われており、緊急着陸を試みるつもりだったものと思われる。(先日(12月下旬)航空雑誌を読んでいたら、「A300-600Rは、最大離陸重量≒最大着陸重量なので、燃料投棄装置は装備していないと書いてあった。)

(恐らく火災を起こした方の)エンジン1基は墜落前に脱落、墜落地点の手前で発見されている。そして垂直尾翼(安定板)は“無傷”で、さらに手前の海から回収された。

事故にせよテロにせよ、垂直尾翼がああもきれいに脱落するものだろうか?整備に問題があったとしても、かなり頑丈に取り付けられているはずの垂直安定板が、あのようなきれいな形で(接続部分の外板の破れ無しに)発見された映像を見た記憶がない。

JL123の事故(事件)にしても、垂直尾翼に自衛隊の無人標的機が激突したとの説が根強くあるが、それでも尾翼の前方1/3程度は機体に残っていたことが、異常発生後のJL123を捉えた写真で明らかになっている。このことからもわかるとおり、垂直安定板はかなり大きな外力が加わっても、「そのすべてが」、「根元から」、「きれいに」失われるということは考えにくい。垂直安定板を失った飛行機は、“しっぽを失った凧”のように、もはや飛ぶことはできない。

また「ひとが“バラバラ”落ちてきた」とのことだが、これはどういうことだろうか?巡航中の機体でエンジンが爆発を起こし、弾き飛んだファン・ブレードがカウルで止まらずに胴体を破損し、破けた胴体から乗客が吸い出された例はいくつかある。巡航中の場合、高度は10,000m前後であり、機内との気圧差は相当なもの。したがってわずかな外板の破れも(穴の近くの乗客にとっては)致命的であり、シートベルトをしていない乗客や、固定されていない物は一気に機外に吸い出される。映画で時々目にするシーンである。

しかし今回の場合、離陸直後で高度は600〜900m程度と考えられ、機内と大気の気圧差はない。上昇中で乗客もシートベルトを締めていたはずで、その乗客が“降ってきた”ということは、外板が大きく破損すると同時に、床も破損し座席がレールから外れ、座席ごと乗客が機外に放り出されたという状況であろう。

過去、例えばパリ郊外に墜落したトルコ航空のDC-10のケースでは、墜落地点のはるか手前に乗客が“着席状態のまま”落ちていた。これは飛行中に貨物室のドアが開き、激しい減圧により客室の床が抜け、乗客が座席ごと機外に吸い出されたものだった。しかし、今回はそれほどの気圧差はないはず。

ブラック・ボックス(CVR/DFDR)が回収されているようなので、わりと早く大体の原因は発表されるのだろうが、それにしても私個人としては(現時点では)“異常な事故”だという印象である。

 

余談だが…今朝、日テレでは航空評論家の青木謙知さん(お父様もいい評論家で、私は大好きでした)を呼んで、事故を伝えていた。その中で同型機として流されたアメリカン航空の双発機。「何かがおかしい」と観察してみたが、あれはB737-800だったなぁ。日テレさん、ウソはいかんよウソは。青木さんもモニターの機体をチェックする暇はなかっただろうし…

最初は「垂直尾翼付け根胴体部分が水平」なので、「A300だなぁ」と見ていたが、「垂直尾翼前縁に屈曲部がある」というB737NGの特徴を有していた。そこでエンジン・ナセルを観察すると、「CFM56の“おむすび”ナセル」であった。今朝の時点で事故機が-600Rという認識はなかったが、映像の機体は「ウイング・フェンス」が無かったし、今思えば主輪も「2輪ボギー(A300は4輪ボギー)」だった。まっ、気にするのはマニアだけだけど、報道なんだからウソはいかんなぁ…

 

先日ビンラディンが「アメリカに対する旅客機テロは私がやらせた」と認めるビデオ声明を出した。今回のA300の事故が「純粋に事故」だとしても、またビンラディンは「私がやらせた」とひとこと言うだけで、アメリカ国民を恐怖に陥れることができる。労せずして、またひとつ目的を果たせるわけか…面白くないね(`´メ)

 

2001/11/17

  友人と成田空港へ

今日は千葉の友人と新宿で待ち合わせて、彼の車で成田空港へ撮影に出掛けた。となるはずが…

いつになく朝の首都高が大渋滞。待ち合わせの時間に電話を入れると「まだ葛西」だという。

そこで僕は飯田橋に移動。『のりもの倶楽部』の開店を待つ間、『スターバックス』で珈琲を傾けながら『バイオテロを討て/トム・クランシー』を読んでいた。別に「何時までに成田に行かなければ」というわけじゃなし、ゆったりした気分で、オープンカフェで小説を楽しんだ(チョッと寒かったけど)。

その後、『のりもの倶楽部』でスポッターのバイブル『jp airline-fleets』をふたり分手に入れ、無事彼に拾ってもらい、成田に着いたのは14:00を回っていたなぁ…撮影した写真の一部は『Airplanes』のページにアップしてあります。

今日は予定がめちゃくちゃになってしまったけれど、それはそれでかえって楽しかった。

これが15年くらい前だったらどうだろう。

待てど暮らせど、待ち合わせ場所に彼は現れない。「渋滞だろうか、事故じゃないのか」と気をもみながら、待ちぼうけを食らうことになる。

今日、携帯電話が普及したお陰で、こうした出先での連絡手段が確保された。お陰で待ち合わせ場所の変更も、彼の『jp』を“お使い”することもできた。「やはり技術の進歩とは、ありがたいものだ」と、彼とふたり、つくづく感じた一日でした。

 

2001/11/23

  かかみがはら航空宇宙博物館

STOL実験機“飛鳥”母が「“香嵐渓”に連れて行ってくれ」と言うので、チョッと足を伸ばして岐阜まで走り、“かかみがはら航空宇宙博物館”に初めて行って来た。

思いきって行ってみて良かった。事前に展示機材の予習はあまりしていなくて、“飛鳥”が置いてあることくらいしか認識していなかった。着いてビックリ。外には、YS-11、US-1、P-2Jなどがあり、屋内には、飛鳥 & FJR710/600S、VTOL実験機、UF-XS実験飛行艇、F-104J & J79-GE-11、T-33、HOPE等など、様々な貴重な機体が置いてあり、感激しながらシャッターを切りまくり、ここで36Exp.を2本撮ってしまいました(^_^;)

この後“香嵐渓”で1泊。翌日“大正村”、“馬籠”、“妻籠”を見ながら帰ってきました。

友人に“かかみがはら”報告をしたら、「3機目の“静態保存YS”ゲットだね」とメールが帰ってきた。「成田JA8611」、「所沢JA8732」、「各務原JA8731」…あっホントだ。言われるまで意識していなかった(^^ゞ

“かかみがはら航空宇宙博物館”の写真は『Airplanes』のページに、“香嵐渓、大正村”の写真は『Gallery』のページにアップしました。

今回の走行距離は881.5km、燃費は21.7km/l。自宅から岐阜へ走り、あちこち寄りながら帰ってきたけれど、途中で給油の必要はありませんでした。これだからディーゼル車はやめられない。石原都知事にいじめられても、まだ乗りたいなぁ。

ところで、燃費の悪いガソリン車と、燃費の良いディーゼル車。どちらが環境に優しいのだろう?ディーゼルは目に見える“粒子状物質(発ガン性があるらしい)”を吐き出すので目の敵にされている。でも、「ガソリン車は排ガス自殺」ができるが、ディーゼル車ではできないらしいよ。

 

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