D i a r y

YAMASANS Diary
 
「日記」というほどでもないけれど、思いついたことがあったら書きます。
 
まぁ、私の独り言を聞いてやってください。
 
 

2004/05/04

  富山・能登・白馬 ドライブ

誰が言ったか?黄金週間(Golden Week)である。うちの会社も他人並みに5日間の連休をくれた。せっかくなので、ロングドライブが愉しい「BOXER 4 & symmetrical AWD」のSUBARU IMPREZAを駆り、能登半島まで遊びに行って来た。

旅客機好きの私は、昨年夏新潟空港へ行き、念願の Tupolev Tu-154M に会ってきた。今回、能登半島へ行く途中に「なんだ、通り道みたいなもんじゃん」ということで、富山空港へ寄ることにした。というのも今回のドライブ、出発日が5/1(土)。ラッキーなことに VLADIVOSTOK AIR の Yakovlev Yak-40 の運行が、水曜と土曜。富山着1220〜富山発1320(1時間のステイ)と時間的にも都合がいい。これは行くしかないでしょう!

 

5/1 0527 自宅発。入間I.C.から圏央道に乗り、関越に入るとやはり車は多め。それでもそこそこ流れ、北に進むに連れて流れは順調に。0754 上信越道・千曲川さかきP.A.(長野県埴科郡坂城町)で25分程休憩し、そこからノンストップで富山空港へ。

5/1の天気予報は甲信・北陸とも「晴」だったはずが、妙高高原で雨と霧に見舞われた。しっかりヘッドライト&フォグランプを点け、ワイパーを作動させての運転となった。こういうときでも、スモールさえ点けないドライバー、結構いるのよねぇ。自分が見えていれば、何も感じない(何も考えていない)ってことかな。で、「山を越えれば、晴れるさ」と思っていたのだが、日本海 (北陸道)に出ても天気はあやしい。結論から言えば、この日の天気予報はズバリ“はずれ”だったのだ。

富山空港ターミナルビルをバックに富山空港周辺も今にも泣き出しそうな空であった。到着後(空港ホームページで駐車場も調べておいたので)、まずは無料駐車場へ。しかし空きが無く、結局ターミナル前の有料(\100/1hだった(^^ゞ)に戻ってきたりと、少々手こずったが1107駐車完了。自宅〜富山空港 411.4km 05h40m Ave. 72.6km/h。速度は“亀”でもあまり休憩しないので、結構速いのだ(^_^)v それに渋滞らしい渋滞もあまりなかったしね。

富山空港のターミナルビルは新しく、とてもきれいだった。早速屋上に出ると、中国南方航空のA321がポツリ。お目当てのYak-40は、随分早く1145頃到着。初めて見るYak-40。小さいとは解っていたが、ほんとちっちゃい飛行機で、やはりエンジンはうるさかった。この機体については追々調べるが、ほぼ直線翼の主翼を持つ何ともあか抜けないデザインであった。ジェットの第2世代になるのかなぁ。いかにもロシアの旅客機という感じでいい味出してました。これで、イリューシン、ツポレフ、ヤコブレフの機体を見たことになる。残るはアントノフかぁ…

続いて ANA B777-200 が到着。滑走路とターミナルの距離が近く、またターミナルビルも低いので、羽田とは違う迫力のランディング&テイクオフを楽しむことができた。

Yak-40は定刻を過ぎてもエンジンを始動せず「どうしたのか?」と思ったら、アシアナのA321の到着を待って、すぐに離陸していった。ムダなアイドリングをしなかったということかな。

地方空港は愉しい。2時間弱で、中国・ロシア・日本・韓国の旅客機を見ることができた。

曇って寒く身体がすっかり冷えてしまったが、ターミナルビルのレストラン「エレガ」で『石焼きドライカレー』を食べて暖まった(^_^) 正に“石焼き”の器に白いご飯。その上にカレー味の挽肉(といえばいいのか?)が載っている。ジュージューと音も愉しみながらかき混ぜる、自分で調理するような感覚もまた愉しかった。また食べてもいいなぁ。

1427 富山空港を出発。このあとの行程を考え、能登へ向かう前に給油することに。富山市呉羽町にMobil のセルフスタンド(良かったぁセルフGSあった(^_^))を見つけ給油。ここまで424.5km、15.38km/であった。

千里浜なぎさドライブウェイ もちろんIMP.は停車中IMP.が満腹になったところで、今夜の宿がある能登金剛へ。NAVIは相変わらずで、お得意の峠越えのコースを選んだ。「何処連れてくんだぁ?(^_^;)」というなかなか愉しい道を走り、予定外に『千里浜なぎさドライブ ウェイ』の北端を数百m走ったり、巌門にチョット寄ったりしながら宿へ。

NAVIのお陰で宿には迷わず着いたのだが(インターネット『旅の窓口』提供の地図は間違っていた)、今夜の宿『ニュー金剛荘』は「え゛?」という宿だった。敷地入口の看板、取付道路、その脇の街灯、前庭、建物…すべてがボロボロなのである (敷地内にゴミの山も多数)。他の宿泊客の車がなければ「ひょっとして“異界”に引き込まれたのでは…」とオカルトチックな不安が頭をもたげるような宿であった。館内もボロボロで、通された部屋も窓が完全に閉まらない、 窓の鍵がかからない、ガラスが割れている、至る所雨漏りの跡、所々床が腐ってぶかぶか、掃除もされていない…「21世紀の日本にこんな宿が存在するのか?」と。宿の方(おじさん1名、おばさん2〜3名)が、感じの良い方ばかりだっただけに残念だ。

風呂も女湯のみが沸かしてあり、他の客の様子を見ながら交代で入るありさま。「男湯は故障して沸かしていない」とのことだったが、女湯から覗いてみたところ、もう長い間使っていないようだった。

夕食は一応“お食事例”写真の様にカニも出たけれど、(冷えたのではなく元々)冷たい料理ばかりですっかり身体が冷えてしまい、早々に布団に潜り込んだ。夜間数度、天井裏を何かが駆け回るのに気付いた。動物が入り込んでいたことは間違いなさそうだ。

翌朝(5/2)、朝食は大広間。そこも衝立で半分以上が潰され、長く使われていなかった。ここの天井も雨漏りの跡だらけ。きっとこの宿は、強風や大雨の時には泊まれないだろう。そして献立だが、ほとんど夕食と同じもので驚いた。

若いカップルも一組いたようだが、こんな宿ではかわいそうだと思った。少なくとも昭和63年あたりまではまともに営業していたようだ(観光協会から表彰されている)し、総理になる前の海部俊樹も泊まったそうである(色紙が飾られていた)。いったい何故このようになってしまったのか? また何故このような状態で営業を続けているのか? 理解に苦しむ。宿の人間に食って掛かる客は見なかったが、リピーターは皆無だろう。「怒る」とか「呆れる」を通り越し、宿に対して「可哀想な」気持ちになった。「インターネットは“玉石混淆”」とは言うが、まさにそのとおりと思った。 ある意味、いい経験だった。

 

さて、気を取り直して2日目スタート。5/2 0850 「ニュー金剛荘」発。 『旅の窓口』提供の地図で「ニュー金剛荘」があるとされている地点へ行ってみようと思ったが、かなり手前で通行止め。完全に封鎖されていて、侵入は不可能だった。

まずは昨年の能登ドライブでうっかり見に行かなかった“千枚田”をめざす。途中のカーブで、地元のおじさんドライバーが軽自動車を完全に転がしていた(お腹が空を向いていた)。おじさん、無傷のようだったが…。鳶も一羽、道に落ちていた。車と当たったのだろう。

“千枚田”は素晴らしかった。海へ向かう傾斜地に小さな棚田がビッシリと張り付いていた。まだ時期的に早いので、田に水が張られているだけで田植えはこれからだったが、緑の稲が風にそよぐ時季にはさらに素晴らしい眺めに違いない。「道の駅・千枚田ポケットパーク」には駐車スペースが13台分しかなく、みんな路上駐車(^_^;)。私も路駐して(^^ゞ慌てて写真を撮り、数分で千枚田を後にした。

ここからは、ひたすら海岸線に沿い海を眺めながらのドライブ。珠洲市〜九十九湾〜鵜川辺りまでは海沿いを走り、緑や鉄錆色の岩山や様々な表情を見せる海岸線、塩田など、能登の風景を愉しんだ。本当はもっと能登半島ドライブを愉しみたかったのだが、今夜の宿は長野・白馬。NAVIの到着予想時刻とも相談しながら、穴水町此木から能登道路へ。上棚矢駄から再び一般道で山越えをしながら、富山県へ。

走ることに一生懸命で、結局昼食休憩は1405。氷見市のCOCO'Sで済ませてしまった(^^ゞ 30分ほどゆっくり休憩した後、昨日も走った国道8号へ。 昨日、小杉町にENEOSセルフスタンドを見つけていたので、そこで給油。昨日の給油から337.8km(富山〜能登〜富山)、燃費はナント16.72km/!ついに10・15モードを超える燃費をマークした。能登の海岸線、信号もなくスピードも出さず…これが効いたようだ(^_^)b

さて再びIMP.が満腹になったところで、糸魚川I.C.まで北陸道に乗り、国道148号で長野・白馬へ。糸魚川から国道148号で南下するということは、つまり日本の割れ目、静岡−糸魚川構造線“フォッサマグナ”を走っているということで…なーんてね(^_^;) 実はこのコース、数qに渡りスノーシェッドが続いていて、頻繁に明(暗)順応を強いられる道。わりと車は多く、運転の疲れも溜まり、前車(お爺さんカローラ)のペースが一定せず…と結構注意しながら走らなければならない状況ではあった。まぁ私は19年のSDカードを持つベテラン(^_^)v(おっと、この油断が事故を招く(^_^;))なので、どうということはありませんけど。

白馬村に入るとしっかりと渋滞してしまったが、1749 無事宿に到着。今夜は白馬とおみゲレンデが目の前の『プチホテル ベベ』。なるほどそれっぽい外観の小ぎれいな宿でした。 泊まった部屋は半地下のような1階で、ゲレンデとは反対側。景色は悪く、狭くて、ビジネスホテルよりも殺風景だったが、部屋が綺麗だということが嬉しかった。昨夜は酷かったからね。そして一番良かったことは食事。オシャレな洋食で、珈琲も美味しかったし、ホテルのおじさんも感じよかった。常連客らしき家族連れもいて…納得です!

星の写真を撮ろうと高感度フィルムを入れたカメラも持ってきていたのだが、月が邪魔で、あまり星も見えなかったのは残念。その邪魔な月は綺麗だったけどね。

 

最終日 5/3 は 0828 白馬発、小布施へ向かった。意外と遠くて 1011 小布施着。“栗の小道”周辺の蔵などを目当てに散策したのだが、とにかく観光客だらけで…自分もそのひとりだけど(^_^;) ゆっくり写真を撮ることもできず、ぐるぐると歩き回り2時間ほどで小布施を後にした。ここもなかなか良い雰囲気の家並みがあったので、観光客が少なそうな時季を狙ってまた行ってみたい。

小布施を出たらあとは帰るだけ。今日は関越が渋滞すると予想して、一般道しか考えていなかった。自分なりに幾つかルートを考えたものの、結局NAVIまかせで(^^ゞ まずは志賀草津道路(国道292号)で草津町へ山越え。急な上り坂が続き、IMP.(エンジンはEJ15)には辛かったかな。途中、志賀高原・丸池で昼食(1308〜1400)。この後が本格的な山岳道路。残雪も増えて、春スキーを楽しむ人達がたくさん。その人達を横目で見ながら、ズラーッと並んだ車の列はノロノロと進んで行った。白根山の峠付近では、NAVIに『冬季閉鎖』表示が点いたりしたけど、実際閉鎖されてはいなかった。

私は飛行機に乗るのは好きだけど、高いところは苦手(高層ビルとか観覧車とか)(^_^;) 白根山の道は怖かったぁ。カーブの向こうや自分の横に地面が見えないのは反則です(^_^;; まるで空の上を走っているよう…こんな場所を走るのも久しぶりのことだった。ひとつ面白かったのは、斜面の残雪が“階段状に”融けていたこと。まるで人が意図的に削ったよう。どんな 自然の法則であのように融けていくのでしょう? そしてまた少し走ると、車は“殺生河原”へ。硫化水素(H2S)の強烈な臭いがして、「駐停車禁止」の看板が「そういう意味で立ててあるのね」って感じでした。こんなところに止まっていたら、ほんと死んでしまう。草津町の町中を抜けるまではかなり渋滞したものの、そこからはまた順調(草津町に向かう対向車は、果てしなく渋滞)。後はR50〜R17(バイパス、渋滞)〜R407〜R254〜R16〜県道 を通り、途中夕食を済ませ、2201無事帰宅。 実は志賀高原を出てから川越で夕食休憩をするまでの6h30m、休憩無しで走り続けてしまった。身体に悪いと思いつつも「だって調子いいんだもん(^_^)v」。父もよく休憩無しで走り続けていたけれど、親子って似るのね(^_^;)

帰宅前にIMP.を満腹にし、富山〜近所のG.S. 436.9km、14.13km/L とこの間もなかなかの燃費であった。3日間の走行距離1199km、総合燃費15.23km/L。私自身も IMPREZAもほんとうにお疲れ様でした。で、IMP.ちゃんは本当に疲れてしまったらしく、R17伊勢崎市付近を走行中クラッチペダルを踏み込むと“ギギギギッ”という感触と音を感じるようになった。金属とゴムが擦れるような感じ。ODD.で14510km、今回のドライブの1100kmあたりから症状発生。まぁクラッチは切れていたし、無事に帰り着いたけど、 今度ディーラーで見てもらわなくちゃ…

 

2004/05/09

  次世代旅客機

去る5月7日、フランス・ツールーズにあるエアバス社の工場で、A380 最終組立ラインの落成式がフランス首相 Jean-Pierre Raffarin も出席し行われた。ジャンボ(B747)を超える超大型旅客機、ダブルデッカー Airbus A380 の最終組立がいよいよ始まるのだ。

計画では2005年初頭の初飛行を目指しており、エアバスが設定した価格は281 million dollarsとのこと(ニュース記事のため、どのconfigurationかは不明)。2億8100万$=314億7200万円($1=\112)。この価格設定は、やはり大きい分ジャンボジェットよりもお高くなるのかしら?(^_^;)

エアバス社社長 Noel Forgeard は強気のようで、「アメリカの航空会社や少なくとも日本の one major carrier (JALのことか?)もA380を運行するようになると確信している」とまでコメントしている。Air France, Singapore, Lufthansa といった航空会社がA380で成田に乗り入れれば、A380を運行していない航空会社にとって明らかなプレッシャーになるというのがその理由らしい(ってことはA380の成田乗り入れは決定事項?)。しかしどうなんでしょうねぇ…555席ものキャパシティが、いつでも埋まるわけではないだろうし、あんなバカでかい機体、格納庫から新たに造らなきゃだし…JALカラー、ANAカラーのA380、チョットだけ期待してみましょうか(^_^;)

A380が最初に引き渡されるのはシンガポール航空で、2006年第二四半期になるらしい。それが成田にお目見えするのか?期待しちゃいます。他にもヴァージン・アトランティック航空も成田に飛ばしてくれそう?

 

一方、ボーイングもしっかり動いていた!7E7 Dreamliner、より未来的な曲面のデザインに青を基調とした新しいカラーで発表されていた次世代の旅客機。SONIC cruiser のことがあるので(まぁあれはデザインからして斬新すぎたけど)、「本気で造るのかなぁ…」などと思っていた。しかし、ついにローンチ!おまけにローンチカスタマーはANAで、50機もの大量発注。2008年から導入されるようだ。767をリプレースするのだろうか?今のうちに撮っておかなくちゃ。

BOEING 7E7、このままの名称で行くのか、それとも 787 になるのか?その辺りも非常に気になるところである。

もうひとつ、BOEING - ANA と言えば…2003.06.30、ANA は 737-700 を45機も発注している。こちらは A320/A321 および 737-400/-500 とリプレースされる。こちらも今のうちに撮っておかなくちゃ。

JAL-JASの統合でJASカラーがなくなり、747Classic や DC-10、MD-11、A300 などの退役が進む日本の空。寂しくなる面もあるが、7E7やA380など新しい機体の登場もあと少し。また我々マニアの目を楽しませてくれるだろう。

 

おまけ…従来のBOEINGカラー(白、赤、青)ではなく、7E7柄の737-700がロールアウトした。こちらは Farnborough Air Show で展示されるようだ。

 

2004/05/14

  やったね!女子バレー\(^_^)/

今夜はじっくり見てしまいました、『アテネオリンピック バレーボール世界最終予選・女子 日本vs.韓国』。ともに開幕から4連勝同士の日本チームと韓国チーム。過去の対戦成績では韓国が圧勝だが、“柳本ジャパン”になってからは負け知らず(と言っても2戦だったか?)。さてさて、勝ってアテネ行きを決めるのか、負けてしまうのか…ドキドキで観戦開始!

…となるはずが、実は『NHKニュース7』の最後で「女子バレー韓国に勝利」のニュース速報が流れてしまい、勝ったことはわかっていたので、安心してみることができた。ある意味余計な(お節介な!)情報だった(-.-;)

それにしてもエキサイティングな試合だった。佐々木、栗原の強烈なスパイクが決まり(特にバックアタックはスカッとしたぁ!)、大友の移動攻撃も面白いように決まり (コートに立つ大友選手の表情、素敵です(*^_^*))、吉原も大事なところで確実に決め、成田(私にとっては大懸)がよく拾い、そして小さなセッター竹下(159cm!)の完璧なトスワーク。スポーツ中継などほとんど見ない私が、TVの前で声をあげて応援してしまいました。まぁバレーは昔チョコッとやったから、その感覚もわかるせいか知らず知らずエキサイトしてしまいます(^^ゞ

今回のメンバー12名の中には、吉原、辻(名取)、成田(大懸)、3人のベテランがいて、懐かしいやら「がんばってるなぁ」と感動するやら。日本人も、結婚してから、子供生んでからカムバック!という選手も出てきて、若手を引っ張って行ってくれるのでこの先も楽しみです。それにしても、吉原さん格好良すぎです!!

最後、ヒーロー(ヒロインか)インタビューのところで、栗原選手はじけてましたね(^-^)b 栗原選手が観客に向かってはしゃいで、そこに高橋と大友(だったか?)が突っ込みを入れているあたり…とても印象的で、ほんとうに嬉しかったんだなぁ、悩みや不安も吹っ切れたんだなぁと、見ているこっちも嬉しくなっちゃいました\(^O^)/ アテネへの切符、ほんと大変な重圧だっただろう。

さて、まだこの後、台湾、ロシアが残っている。思い切り愉しんで良い試合をして欲しい。それが見ている私達を愉しませることにもなるのだから。そして、アテネでものびのびと愉しんできて欲しい。

全競技に参加する全選手が競技に集中するためにも、観客が競技を楽しむためにも…アテネオリンピックが平和のうちに開催され、無事終了することを願わずにはいられない。

 

2004/05/23

  北朝鮮から5人帰国

昨日(5/22)は「成田に遊びに行こう」と思っていたのだが、早起きして小泉首相訪朝の政府専用機が羽田を離陸するシーンの生中継を見ていたら、あっという間に雲の中へ。「これじゃ成田もダメだ」と諦めた。私の家の辺りも、起きた時から降りそうな空。前夜、インターネットのピンポイント予報では、成田は晴れ間がありそうだったのに…風向きが変わったらしい。

 

で、5/22は1年8ヶ月振りの小泉首相訪朝。突然決まり、またも日帰り。元北朝鮮工作員の安明進氏も言っていたように、1週間前に北から訪朝を打診する連絡があり、突然決まったのだとか(現在、安氏はただの“南”市民のはず。何でそんなこと知ってるの?『蛇の道は蛇』ってことか??)。

このところ政治家の「国民年金未加入問題」で国会は大荒れ。「民主党の新党首に小沢氏が就任」(結局岡田氏になったが…)に話題を持って行かれないために「小泉再訪朝」をぶつけた、小泉首相が自身で(勝手に)決断した、政治的パフォーマンスに利用していると囁かれた今回の訪朝。それでも北がわざわざお誘いの連絡をしてきて小泉首相が独断で決めた訪朝なのだから、「“お土産”は保証されているのだろう」とかなりの期待をして見ていた。

結果は、蓮池さん・地村さんの5人の子供たちが帰国を果たした(もっとも彼ら5人に“帰国”という意識はないはず)。進展といえば進展。しかし、曽我さんの家族は小泉首相の説得もかなわず、帰国できなかった。そして死亡・行方不明とされた10人の安否については、白紙撤回・再調査の約束と言うだけで、何の回答も得られなかった。

日本側は“人道支援”の名目で、食糧25万トンと1000万ドル相当の医薬品の提供。北に対する経済制裁などを行わない、特定船舶の入港阻止を行わない、などを(条件付きながら)約束した。これで再び、万景峰号などを使った不正輸出、朝鮮総連からの不正送金が行われるのではないか? 北の意味不明な主張に臆することなく、毅然と阻止することができるのだろうか? 先の列車爆発事故直後に、米政府が行った医療支援が10万ドル。今回日本はその100倍もの医療支援を約束している。「食糧25万トンと1000万ドル相当の医薬品」これは“誰が要求(あるいは提案)した数字”で、“どれほど根拠がある”ものなのだろうか? ある識者は「現在の北朝鮮で1000万ドルの医薬品など、とても使い切れるものではない」と言っていた。食糧にしても医薬品にしても、“流して”外貨獲得にでも使うのではあるまいか? 5人の帰国だけで、これだけの支援。「これでカードは終わりではない」と言う。さらに大きな支援の用意があるのか? これでは「足元を見られている」と言われても仕方がない。

今回は「拉致問題の解決」という面があるのだが、外国に支援をしている余裕があったら国内に目を向けたらどうなんだ! 仕事がなくてホームレスになる人、会社が潰れ自殺する人、働かない若者…年金はピルや車に使い込まれ財源は“枯渇”、将来50%の支給も保証できない。それで他国に支援、本末転倒である。

どうも昨日1日だけの結果を見ると、日本が得た結果に対して北に与えた“見返り”が大きすぎる感は否めない。家族会も今までにないかなり強い口調で、落胆の気持ちをあらわにしている。前回の訪朝から1年8ヶ月待たされて、ようやく5人の救出。残された曽我さんの家族3人や死亡・不明の10人、そして会談の話題にも上っていないであろう、その他100人以上になるかもしれない拉致被害者の救出は、あとどれだけ待てばいいのか(400人以上の人が拉致されたと言われる韓国はどうなってる?)。あの冷静な横田早紀江さんが「私達が力尽きて死ぬのを待っているのか」と訴えていた。相手(北朝鮮、金正日)が相手だけに難しい交渉だろうが、“手ぬるい”というのが正直な感想である。「次の選挙を有利に戦いたい」という下心で決めた今回の訪朝なら、もっとがんばってくるべきではなかったのか?

しかしあれだけ強い言葉で不満をあらわにした家族会。イラクで人質になった5人のようなバッシングは…起きないよね? 今回はあんなバカげたことは止そう!

 

● ジェンキンスさんの問題

「“敵前逃亡”した脱走兵であるので訴追は免れない」ということで、小泉首相が1時間に渡り説得したが、今回はジェンキンスさん自身の意志で帰国(?)は見送られたとのこと。「では、北京で」と提案したらしいが、事前に中国に根回しは?「そんなこと言われても、うちも困るよ」なんて、まさか言われないんだろうね。

「1時間説得したがダメだった」ってことだそうだが…「1年8ヶ月もの間、何してたの?」と識者も言ってた。「イラク戦争に勝利した」とアメリカが浮かれている間に、「ジェンキンスさんの件、ひとつよろしく」と言えば「何とかなったんじゃないか?」と。NHKの報道によれば、(いつからかは知らないが)日本政府も水面下の交渉はしていたらしい。ただ「敵前逃亡は重罪であるし、イラクの状況を考えると安易な恩赦は現場の兵士の士気に関わる」というようなことだったようだ。べーカー駐日大使を通じて、恩赦は認められない旨の連絡があったらしい。

まぁ、小泉が「ジョージとは友達だ」と言うのなら、ブッシュに会いに行ってアメリカ政府の便箋に“一筆”書いてもらって来るくらいのことはできるんじゃないのぉ? それをジェンキンスさんに渡せば、何の心配もなく日本に来ることはできただろうに…

 

● 帰国した5人の子供たちに関する興味

彼らは「朝鮮人の両親から生まれた、北朝鮮の市民」として育てられた。1年7ヶ月前、「旅行に行く」と言って出掛けた両親は、帰ってこなかった。いつ頃、誰から、どのような表現で、両親が日本に行っていることなどを知らされたのだろう? 皆まだ若いから、新しい環境にうまく適応していくだろうとは言われている。しかし今は多くのことがひっくり返って、またこれから驚くべきことを両親から聞かされるはずである。落ち着くまでは、かなりの時間が必要かもしれない。良い形で自分たちが置かれた状況を受け入れ、家族そろって幸せに暮らしていって欲しいもの。

日本という国の性質上(いや、何処でも同じか)、いずれ何人かは記者会見に臨むときが来るのかもしれない。記者会見という形を取らずとも、いずれ何らかのコメントの発表はあるだろう。ぜひ我々の疑問に答えて欲しいとは思う。これが私の正直な気持ち。

さしあたっての最大の関心事は、胸に付けた“赤いバッジ”をいつ外すだろうということ。今日(5/23)の朝には外れているだろうか? 今日は彼ら5人の姿を見る機会はあるのだろうか?

日本とイギリスが、世界中で一番ニュースの時間が多いのだそうだ(つまり他人のことを覗きたがるということ)。

これから日本語もおぼえなければならない(第二外国語で取っている子もいるとか)。北で修めた“学歴”は日本で認められるのだろうか? この点については、期待できないのでは? 変な“いじめ”に遭わなければいいが…まぁ私が心配しても始まらない。

 

しかし…拉致問題、イスラエル−パレスチナ問題、イラク戦争、同時多発テロ、湾岸戦争、チェチェン問題…いったい人間は何やってるのかねぇ。こんなこと考えてるから気分が暗くなるんだろうけど、世界中で同じように感じていれば、何かが変わるんじゃないのか? でもやっぱり為政者たちは、別の価値観で動いているようにしか見えない…(-.-;)

(2004.05.23 02:05 記)

 

2004/05/26

  訪 朝 議 員 … その目的!?

私のお気に入りのラジオ番組にTBSラジオの『ストリーム』がある。マッピー(松本ともこ)と小西克也(国際ジャーナリスト)の掛け合いも楽しい、なかなか“為になる”番組である。で、今日は「コラムの花道」を少しだけ聞くことができた。今日の出演はコラムニスト勝谷誠彦さん。『やじうまプラス(テレ朝)』にも出演し、歯に衣着せぬ評論で朝から激怒しまくり。私、勝谷さん結構好きです(^_^)

今日の『ストリーム』→「コラムの花道」でどんな話をしていたかというと、5/22の訪朝団にいた「山崎正昭・内閣官房副長官(政務)」のこと。他にもいろいろ“怒って”くれていたとは思うが、私が聞けた話はおおよそ次のとおり。

●山崎は家族会への報告で、自分が訪朝で何をしてきたのか、どんな成果があったのかさえ、ろくに説明できていなかった。

●何故今回の訪朝に連れて行ってもらったのか? 次の選挙で、山崎は改選なんですよ! 選挙で「訪朝した、5人を連れ帰った」とアピールしたくて付いて行っただけ。

●彼のHPを見てみると、「地元に新幹線を通す」、「高速道路を通す」、「市町村合併」これしか書いてない。地元福井のくせに、訪朝もしたくせに、拉致問題なんかこれっぽっちも感心ないんだ!

まぁナント浅はかなというか、他人の苦しみ悲しみが解らない奴が国会議員をやっているんだなぁと改めて思った。

また勝谷さんはこうも言っていた。「死亡・不明とされた人のことは、待ったなしなんだ。日本で待つ家族も皆高齢で、いつまで元気でいられるかわからない。このまま、また1年2年と長引いて、もしも不明とされた人々が帰ってきたときに「もう少し早く救出してくれれば、○○さんは生きていた」と言われたら、その時いったい誰が責任取るんだ!」と。ほんと、そのとおりだと思う。政府は、政治家達は、いままで20年も何もせずに放っておいて、さらに待たせるつもりなのか。

同じTBSラジオの「デイ・キャッチ」では昨日、弁護士の村千鶴子さんが「いちいち総理経験者に報告に行く必要があるんですかねぇ…何もしてこなかったあんた達にいろいろ言われたくないよ」と失笑してました。私も同感です。

この件に関しては、我々ができることはあまりないかもしれない。以前この日記にも書いた気がするが、とりあえず我々が北朝鮮による拉致問題について関心を持ち続けることが大切だと思う。

勝谷誠彦臨時革命ペ−ジ

http://homepage2.nifty.com/katsuya-m/

参議院議員 山崎正昭 ホームページ (←政策に注目!)

http://www.m-yamazaki.com/

ストリーム STREAM (TBSラジオ)

http://www.tbs.co.jp/radio/st/top.htm

やじうまプラス (テレビ朝日)

http://www.tv-asahi.co.jp/yajiplus/

 

ついでと言っては何ですが、『ストリーム』→「コラムの花道」火曜日担当、町山智浩さん(映画評論家)も、ご自身のHP 2004.05.18の日記に面白いことを書いているので、ぜひ読んでみて下さい。我々が知らないうちに、恐ろしい「法案」が次々と作られているのですぞ!

昨日の「コラムの花道」、『華氏911/マイケル・ムーア監督』とディズニーとの攻防(?)など“裏の裏”の話もなかなか聞き応えがあった。

はてなダイアリー - 町山智浩アメリカ日記

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040518

 

2004/05/27

  帰国者に関する報道を見ながら…

北朝鮮から、蓮池さん・地村さんの5人のお子さんが帰国してから、連日2家族の、5人の子供たちに関する報道が続いている。「地村のおじいちゃん大活躍〜!」という感じで、地村保さんはお昼のテレ朝に連日の出演。3人の孫達の様子をうれしそうに語っている(^_^)

そんな保じいちゃんの様子を見ながら、フト思った。「日航御巣鷹山事故の時の報道と一緒だ」と。あの時は“奇跡の生還”を果たした4人ばかりが取り上げられ、520人の死者がまるで忘れられたかのようだった(個人的にはこの世に生まれ出ることなく亡くなった“胎児”を含み、521人としたい)。あの時とどこか似ていないだろうか。

我々の関心が「帰国した5人」に向いているということだろうか? 私自身、彼らが両親との絆を取り戻し、親戚や地域の中にとけ込み、彼ら自身のアイデンティティを日本の地で確立していく様を見ていきたいと思う。マスコミは(特にテレビは)どうしても“画になる”ことを報道したがるし、その方が見ている方も面白い。まぁマスコミばかりは責められないな。それにしても5人の子供たちのこと(両親も含めて)、せめて今だけでも、もう少しそっとしておいてあげたいなぁ…

5人のことを報道した“後に”、曽我さんの問題、残された安否不明者の問題も続けて取り上げているが、どうしても印象が弱くなってしまうと感じる。

保じいちゃんはうれしそうに語っているが、カメラが止まった後には「帰ってこられなかった人々、安否さえわからない人々や家族に申し訳ない」と思っているに違いない。残念ながら今回の結果は、新たな悲劇を生んでしまった。

家族会は同じ痛みを抱え、互いに励まし合いながらがんばって来たのだから、蓮池さん・地村さんに対して「嫉妬・ねたみ」の気持ちを持つことはないかも知れない。しかし人間とは“嫉妬したりねたんだり”する動物である。そこら辺、蓮池透さん(お兄さんね)は冷静で「うちは帰ってきたから、私が何か言っても今までのようには受け取ってもらえないかもしれないので、「救う会」事務局長(?)を辞めるかも」といった趣旨の発言をしたとか。「さすがはお兄さん」と思いました。理知的で冷静なお兄さん、私結構好きです(^_^)b いずれにしても、それぞれの立場のズレが大きくなったことは、新たな悲劇であろう。

拉致被害者家族に対する批判・攻撃を心配したけれど、やはり起きてしまったようで。直接、批判メールなどを送る人にとっては「政府にねぎらいの言葉がない」、「首相が行ったから5人は帰れた」、「不明者の再調査もすると言っているじゃないか」といったところでしょうが…

今回、確かに「小泉首相が迎えに行ったから」5人が帰ってきたのだけど、「小泉首相の力で帰ってきたわけではない」でしょう!? 「金正日の気紛れで、彼がコメとクスリを日本から引き出したかったから」5人を帰したんでしょう?

今日、ニッポン放送うえやなぎまさひこアナも言っていた(私、うえちゃん好きです)。「テレビは、家族の方達が小泉首相などに不満をぶつけるセンセーショナルな部分だけ“切り取って”、“何度も何度も”流すんですよ。だからね報道されない部分もちゃんと見てあげなきゃいけないし、25年も放っとかれたわけですよ。家族なんだしね…」と。家族なんだから…辛い気持ちを誰にぶつければいいのさ。同じ立場になったら、きっとみんな同じことをするでしょ。長いこと政府は何もしてこなかったのだし、今回は“下心”見え見えでしょ!?

私も、田中真紀子外務大臣の「日米安保はイージーだった」発言でこの日記に書いたけど、ほんと、報道って注意して考えながら見ないと騙されちゃうんです(-.-;)b 事実を伝えても、それが切り取られた事実だったりすると、真実じゃなくなったりします。湾岸戦争の油まみれの鳥の映像だって、後で冷静になって見てみれば結局イラクが油田を破壊した証拠などなかったし(米軍の仕業?)、「多国籍軍」って表現自体が日本独特のものだったり…多くの国では「米軍および…」という表現だったと思う。

加害者は法律で守られ、被害者にはプライバシーさえない。イラクで人質になって辛い思いをしたのに、日本に戻ったらまるで犯罪者扱い。肉親が北朝鮮に拉致され、その辛い気持ちを訴えれば批判される。「何だかなぁ…」間違ってるでしょ。

イラクで人質になった3人が帰ってきたとき、ご丁寧に彼らを批判するプラカードまでこしらえて空港で出迎えた輩がたくさんいたようだけど、その「税金泥棒!」という気持ちが、何故、政府や社会保険庁に向かないのかなぁ? イラク人は彼らを殺さなかったけど、精神的に追い込んで日本人が殺してしまうのではないか? それは今でも心配。それと、あれだけ政府の連中が訳わからないことを並べて彼らをいじめたのは、今井紀明さん一家が共産党員だったからだっ、「間違いないっ!(-.-)b」。「共産党への罠だ」とまで言っている人もいる。みんな共産党嫌いだけど、冷静に聞いていると、共産党の主張が一番まともだと思うね。ただし実現不可能な理想論だったりもするけど。今の世の中「議会制民主主義」という名の“数の暴力”ですから、共産党の皆さんも、まずは数を取れるようにならなければお話しになりません。「言ってることは正しいけど、そんな主張をしても選挙民の心はつかめないよ」と思うこともしばしばです。まぁ“彼らの世界”ってのが確立している感じがします。それはそれで大事なことで、新進党とか日本新党とか現れては消えていく政党では信用できません! 最も歴史の長い政党が日本共産党だったっけ? もし共産党が「党名変えます」なーんて言ったら、共産党嫌いな人も「ちょ、ちょっと待ってよ!」と言いそうだ(^_^;)

随分脱線してしまったし、夜も更けてきたのでこの辺で…(^^ゞ 脱線はしたけれど、様々な問題の“根”はひとつなのだと思います(←かなり抽象的だなぁ(^_^;))。

最後に…私は保じいちゃんを批判する気持ちはまったくありません。可愛い孫と会うことができたのに、他の家族のことを考えると心の底から喜べないであろうことを可哀想に思っています。皆が笑える日が早く訪れると良いですね。

そのためには、家族会批判や総理批判という内輪もめはこれくらいにして、政府も真剣に取り組み、我々の敵は金正日であることを忘れずに、奪還に向けてがんばろ〜!

 

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